66歳。一度、私は横浜アリーナの特別席に招かれたことがあります。声が甲高く響いていたことを覚えています。
◯無差別殺人
切りつけ事件で、殺人未遂容疑で逮捕された高校生は、調べに対し「無差別殺人への憧れがあった」という話をしているそうです。
無差別殺傷事件は、殺される相手は、誰でもいいわけです。
テロはテラー、恐怖によって自分たちに有利な政治状況を作り出すようにしています。自分の不幸な苛立ちをぶつける事件は、テロとはいいません。
生きづらさが、怒りをぶつける対象を求めるのです。
普通は、こいつのせいで自分が苦しくなっていると、思い込み、その相手をターゲットに仕立てるものです。怨恨による動機の殺人です。
人でなく、まず動物を殺すというのは、無差別殺人に結びつきやすいのでしょう。少なくとも、日本人には、あの事件#でそういう嫌な結びつきが想起されるようになりました。
怒りや不満は、物、いや、スポーツ、芸術、芸事、文芸などにぶつけるというのが、おすすめですが。
2017年相模原の津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件では、犯人の植松聖は、美しいものと美しくないものを区別しました。障害者を美しくないものと見たのです。
美的感性よりは、おもしろく楽しむ方に寄せてみることです。
正しい、清い、美しい、は、怖いものです。
それに呑み込まれないように、へたに近づかないことかもしれません。
#宮崎勤の事件
続きます。