◯唄うことの起源
唄うは、口を貝のように開いたり閉じたりしながら、訴えることが語源という説があります。訴うは、うたうと発音されていたそうです。
◯禁秘抄
順徳天皇の禁秘抄、これは神事を扱う教科書です。
第一に御学問、第二に管弦、第三に和歌です。歌会始は、奈良時代以降続いています。
◯宗教と医療
葬式や鎮魂の儀式などは、宗教や芸能の人の司るものでした。
そこには、医療の治療者もまた関わっていたのです。
◯ホツマツタエ アワ歌
ホツマツタエは、紀元前7世紀に書かれ、日本語の基本となる大和言葉の元となりました。
アワ歌は、葛垣打琴に合わせて歌うと、音声が明らかになり、五臓六腑が整うと書かれています。
◯朗読文学の歴史
古代、和歌を読み聞かせることから始まり、秀吉や家康も歌の会を好んで開いて、朗読をしています。
伊達政宗は和歌に優れていました。
明治時代には、朗読会は盛んでした。漢詩や古文だけでなく、欧米の詩も朗読したわけです。アメリカのビート詩人には、ギンズバーグ、フィードラー、フェダマンなど。ポエトリーリーディングといいます。
◯文字と音声
「文字で人をたぶらせながら仕事をする人は、オトに感じるからだの感覚をほとんど失ってしまっているのである。」(田中勝彦「言葉とは何か」)
#ホツマツタエ アワ歌
<イサナギとイサナミは、即位し7代目の皇位を継承します。葦原中国(アシハラナカクニ)で、天神から引き継いだ矛で農業を復活させます。民の言葉がなまって通じなくなったのを正そうとします。
二神は声を合わせ、カダガキ(楽器)をかき鳴らしながら、上 二十四音をイサナギが歌い、下 二十四音をイサナミが歌って音声の標準化を図り、農業と共に国を再建していきました。
『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ。
五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)・10700行余で構成された、記紀の「原書」であるという、「古史古伝」のひとつであるが、成立時期は、江戸時代中期までしか遡れない。
安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。
アワ歌は、全編がヲシテによる長歌で記述される。
『ホツマツタヱ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述している。
1アヤから28アヤまでが前編で「クシミカタマ」の編集、29アヤから40アヤは後編で「オホタタネコ」(大田田根子)の編著による。
皇室の祖先が8代アマカミのアマテルカミ(天照大神)や初代アマカミのクニトコタチまで遡る。
『ホツマツタヱ』では、上記の歴史の他、ワカウタ(和歌)の成立、アワ歌という48音の基本音を表すウタおよび「縄文哲学」の詳しい記述、皇室の成立と歴史、結婚の法、イミナの意味、ミソキの方法、正しい食事の法、マクラ言葉(枕詞)の意味、刑罰の法、国の乱れの原因、国の意味、統治理念、ヲシテという文字のなりたち、ミクサタカラ(三種の神器)(タマ・カカミ・ツルキ)の成立と意味、トノヲシテと呼ばれる当時の憲法、国号の変遷、乗馬の法、各地の馬の品種、トリヰ(鳥居)の意味、自然神の祭祀、大宇宙とヒトの関係、暦の法、ヤマトウチ(神武東遷)の背景、天皇即位の儀式の変遷、ツツウタの意味、葬儀の法などが述べられている。(Wikipedia)>