fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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日本と日本人にとってのコロナ禍

◯日本の感染対策の流れ

この2年半にわたるコロナ禍での、日本の政府や専門家、私たち日本人の対応についてまとめておきたいと思います。

東日本大震災以降の天災や人災、コロナ禍、ウクライナ侵攻とこの10年、大きなできごとが、次々に起きました。そのなかで、この国では、綻びが露見していくばかりでした。

政府や専門家は、いつもその場対応で追われ、どんなことも他の国の対策の後を追っているような有り様です。

今回のマスクの着用解除についても同じでしょう。

このままでは、さらに大きな危機が来たときに、なんら最善の対応がとれると期待するのは無理でしょう。つまり、これを教訓に、自分たち自身で、日頃から考えに考え、できることは準備しておくことが求められます。

それにしても、岸田内閣の支持率の高さ、岸田禍とも揶揄されているのに、コロナ禍がしぜんに収まってきたから?対露強硬発言?野党の信用のなさ?

物価高、文通費問題、減税も、参院選を控えて、

必要なこともしない、

それが余計なことをしなくてもよいという党内の評価、

若い世代の支持が低いのは救いですが、

これでは、失われた30年の延長しかこないでしょう。

 

◯検証しない

感染対策については、国によっては、強制的に外出禁止し、マスク着用を義務として課したのに対し、日本の場合は、お願いであり、自粛でした。

最初は、いろんな専門的な知見やデータが出て、危機感があおられました。驚かされたのは、予想が外れても、その後、その原因釈明や訂正のデータが出ないことです。

感染のような専門家しかわからないことに専門会議がドタバタ劇、感染については誰が専門家なのか、わからないようになっていったところもあるのですが、本筋以外のところでの動き、現場のわからない人がトップにとか、相変わらずの日本らしさが、モリモリ。

いったい、どういう経緯で誰がどう判断したのか、どういう意見や見解だったのかも明かされていません。

以前は、「議事録をなくした」と言って隠していたのが、ばれてきたので、最初から記録を残さないという暴挙に出ました。検証しないところに、リスクマネジメントなどあり得ません。

今回は、世界各国の感染やITの専門家の活躍、政治家の言動と比べる機会がたくさんありました。この国の非常事態への対応能力のなさがよくわかったことでしょう。

 

◯対策不能の原因

日本は、SARS、MERSなどの感染時に、国内の被害がなかったので、他国の状況からもっと学ぶべきだったのに、何の備えもしなかったわけです。

戦後に、軍事やその情報機関を廃止されてから、非常事態における対応は、アメリカに任せたまま、自ら備えることを怠り続けたのです。細菌兵器に対する研究や防衛についても、なおざりでしょう。結局、未だ、国内で、治療薬も開発できていない状況です。

この非常事態においても、完全な効果と安全を追求し、クレームがくるようでは困るということで、積極的に進められなかったものと思われます。過去のいくつかの失敗で、厚労省も製薬会社も慎重になって動かなかったのでしょうマスクや消毒関連品なども国外生産に頼っていて、こういう状況を誰も考えていなかったのです。

 

安全神話ぼけ

チャレンジをして失敗し責任を問われるよりは、何もしないで死を待つことを選ぶ、それこそが、未来を考えられない、今の日本の政府や企業、私たち日本人の生き方です。

イスラエル人などが例え人体実験のようであろうと先んじてワクチンを打ったのとは、天地の違いです。

もちろん、それがよいとは思いませんし、日本はそこまでの被害状況でなかったので、日本のペースでよかった。このことは、結果オーライでした。私も「何もしないことが日本の優れた能力で国益」と皮肉っていたのです。

ただし、非常事態では、同じ行動をとるのはよくないことです。危険時にリスクを分散すべきなのは、鬼ごっこや隠れんぼで固まらないことと一緒です。

 

◯日本での感染被害の抑制理由

日本で感染被害がひどくならなかった要因として、日本人には、感染対策に有利な面がいくつかありました。

第一に、マスクすることに慣れていたことです。

海外では犯罪を犯すような人以外はマスクをしません。マスクをすることで怪しく見られます。顔を隠すことは怪しいことだからです。

ところが、日本では、毎年のように、花粉症の時に、多くの人がマスクをするので、マスクに偏見はありません。マスク着用の生活にも、慣れていました。

 

◯日本人の気質と生活環境

もともと日本人は、表情や仕草も外国人ほど大げさではなく、口元もそれほど動かしません。

顔の下半分が見えなくても、外国人ほど不快や不安を感じないわけです。海外の人たちは、大きな声ではっきりと話します。表情も口の周り中心に顔の筋肉を大きく使い、それを見ながらやりとりをします。マスクをすると、コミニケーション不全となってしまうのです。

 

日本人は大きな声でしゃべらない分、呼吸も浅いのです。それも幸いしたのでしょう。欧米人より平面顔です。

外国人は、呼吸が深いので、マスクで息苦しくもなるでしょう。表情を動かすたびに、マスクとの摩擦も大きく、不快感も増すのでしょう。

口元を見て、コミニケーションする民族と、日本人のように、相手を直視しない、目を見て察するような民族では、違うのです。

ですから欧米人が、「マスクの強要は、人権侵害だ」と言っていたようなことは、日本人には理解できないのです。

 

多湿で、すぐにカビなどが繁殖する心配がある日本では、靴を脱ぎ、手洗いする習慣が徹底しています。食事中もいたって静かです。そうした対策が日頃から行われています。世界で最も衛生的な国です。大きな声でたくさんしゃべらないことで、飛沫感染を防げたのでしょう。

こうしたことさえ具体的データが公開されないと議論もできないのです。困ったことです。