◯褒め過ぎないこと
日本人の、足を引っ張り合うような性分は、直したほうがいいと思います。
でも、何ら努力もしていないし、そのプロセスもないところに、やたら、褒めるというのは、よくありません。甘えてさせてしまうだけです。
そういった環境は、そういうところでしか生きていけない人を作り出しかねません。
エせ宗教、マルチまがい商法などに騙されやすい人に育ちかねません。
褒めることが、甘え、アメとなると、依存症への誘因です。
教育の一環として、最悪の状態の人を救うセイフティネットのように、
評価し認めること、そこで褒めることは、ときに必要と思います。
ただ、褒め過ぎる、つまり、偏りすぎると、ろくなことになりません。
無理によいところを見つけてでも、褒めようと煽るのは、無理がでます。
そうした形でなされることには、不信感を感じる人もいるでしょう。
褒める側の練習として、止めておくことでしょう。
◯自己肯定感と褒め
さすがに、学生さんとなると、その感想は、
「褒められるのが得意でない」
「皆の前で褒められたいと思わない」
「嬉しさより恥ずかしい」
「自分で思っていないことを褒められても、、」
「戸惑いの気持ちで、受け入れられない」
など。そのように思うのは、まともでしょう。
よかった、です。
なのに、このまともな感覚に対し、こういう教育の信仰者には、
「褒められ慣れていない」とか、「自己肯定感が低い」など、
のように取り上げる人がいます。その見解の方がおかしいのです。
◯誰のため?
また、「願望込めて褒めるのはだめ」ということらしいです。
若者なら、そこにあるのは、未来ですから、
それを期待して願望するしかないでしょう。
まあ、褒めることで良好な人間関係にしたいとか好かれたいという願望なら、抑えるべきでしょう。
コミュニケーションと教育とを混同しないことです。
コミュニケーションは、褒めればよいというものではありません。
◯褒め殺し
褒められるのがあたりまえの育ち方をすると、褒めてくれる人だけを好きになり、そうでない人、よりそってくれない人を嫌いになりかねません。褒めてくれる人も、好きになれなくなるかもしれません。受け身に慣れ、自分から相手に働きかける力がつかないのが、問題です。
自分がどんなに嫌われても、本人の芸が深まり、自立できたらよい、というのが、古き日本の芸の伝承法でもありました。みんなの前で褒められたような奴は、ろくな大人にならない、と自戒したのです。
若い人に褒めるところからスタートすると、やりやすいのは、確かです。業界では定石です。また、別れさせたいカップルには、相手をけなすより、褒める方が効果的だったりします。、、やめとこ。
彼らが、
「大人たちが自分たちをコントロールしようという意図を感じる」
と思うなら、それでよいのです。そこからスタートできます。
「減点法じゃなくて加点法で」これも似ていますね。
オリンピックの金メダルを取った選手は、褒められることなど求めません。
自分の努力とそれが報われたことの価値を知っているから、心から歓び、褒められても素直に受け取れます。それだけのことを成し得たからです。
◯歪んだ世代の弁明
私たち以上の世代は、あまり褒められて育っていないので、やや歪んでいるのは確かです。ちょっとしたことで褒められたら、騙そうとしてるのか、裏に何か意図があるのか、疑います。
私も少なからず芸事を嗜んで来ましたが、今に至るまで、自己否定感だらけです。
若いときも褒められたら、自己採点で20点くらいのテストで、「よくやった」と言われたようにしか感じませんでした。むしろ悲しくもありました。
自己否定で自分を乗り越えるパワーは、バカにできません。
怒りやコンプレックスが、どれだけのエネルギーになるか、芸人から学んでください。
まとめておくと、とはいえ、
やはり、TPO、ケースバイケースでありますね。、、すいません。