◯56号ホーマー
ヤクルトの村上宗隆選手が18年ぶり、史上最年少での三冠王に輝きました。13試合,アーチが止まっていて、やはり呪にかかったのでしょうか。先に触れたときは、そういう圧力はないと言いましたが、プレッシャーは大きいものなのですね。シーズン最終打席での56号ホームランです。優勝争いが長引いていれば達成難しかったかも。おめでとうです。
◯参拝と感謝
子供の頃には、参拝では、大人の真似をして、頭を上げるタイミングを見はらかったものでした。焼香も同じでした。繰り返していくうちに、それなりに、わかってくるものがあり、自分なりの時間が保てるようになります。
願うなんておこがましいことだから、「ただ感謝すればよい」と思ったときから、私の祈りは、短くなりました。自分は感謝し、他人のことについて願うことが多くなったのです。
祈るとは、こちらから願をかけるのではなく、無心になると何かしらいいよというようなタイミングがあって、そこで切り上げることを、かなり遅くになって学んだような感じがします。
後ろに待つ人がいると急いてしまいます。昔は絶対に並ばず,横で済ましていたのに,今は並ぶのも苦でなくなりました。そのうち,楽しくなりそう、、。
◯お賽銭のご利益
山寺では、階段を登りきって、達成感があり、ここまで来たのだから、賽銭も入れたし、何かしらご利益があるような感じにとらわれてしまったものです。
でも、ある先生に,お賽銭は、それなりのお金を投げ入れて,瞬時に「惜しい」という気持ちを切る,その修行だと言われたことがあります。なるほどと思いました。莫妄想です。
一万円をいれる人は,その分のご利益が,そうした雑念切りの修行で得られると思います。
日本では、お賽銭泥棒はいても、神社仏閣のものが盗まれることは、あまり聞きません。
なかなかに根強い信仰心があると思います。
◯神と信仰者
昔、私の近くにキリスト教に信仰を持つ人がいました。「神を信じなさい」といわれたとき、なぜ「こんなに戦争をたくさん起こしてきたところの宗教を信じなければいけないのか」と思ったものです。
つまり、神が存在するなら、なぜ神が選んだ民、神を信仰する人間が殺し合いをするのかということに不審にならざるを得なかったのです。
神は、勧善懲悪のヒーローみたいなものではないのです。
それではあまりに単純で、世の中によい人と悪い人しかいないみたいなことになります。
人間が人間に対して犯す罪を、神が救ったりはしないのです。
犠牲者となることが、受難ということです。救われずに、すべての責任を一緒に引き受けている人が、信仰者となるのです。
時折、現実の社会にそういう人があらわれます。
どこかのヒーローが,最大の災いをもたらすことは,歴史の常です。
王貞治さんは何かと神格化されましたが,村上さんはそうはならないように思えます。。