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白河の関越え、仙台育英初優勝 高校野球に学ぶ

◯甲子園優勝旗、白河の関を越える

5人の140km超の投手を擁した仙台育英が、

第104回全国高校野球選手権、3547校で、東北勢として初優勝。

仙台地区で視聴率37・3%、悲願の「白河越え」。

 

各県から出場しているので、「東北初」ばかりを強調されるのもどうか、

あらゆるメディアの見出しが「白河越え」、

といわれても、北海道は優勝しているし、更なるみちのくの秋田や青森の人も複雑でしょう。

うれしいのは、仙台育英に負けたチームの人たちでしょうね。

4年前の夏、秋田の公立の農業高校、金足農業高校が、3年生9人だけで準優勝したのを思い出します。

 

白河神社の宮司は「悲願達成に何か役立てることはないか」との思いで、97年から東北の春夏甲子園出場校に優勝祈願の「通行手形」を贈り続けてきたそうです。

 

古来、白河関を越えるときは、冠を正し、衣装をあらためたとのこと。

松尾芭蕉の同行した曽良の発句は、

卯の花を かざしに関の 晴着かな    曽良

(白河の白の「卯の花」をかざし、晴着を着たつもりで関を越える)

これは、ここを越えた古人に敬意を表して正装したつもりの意だとか。

藤原清輔の著書「袋草紙」の一節『竹田大夫国行というもの、陸奥に下向の時「白河の関過ぐる日は殊に装束をひきつくろい向かう」と言う。

人、問う「何んらの故か?」答えて曰く「古へ因能法師の『秋風ぞ吹く白河の関』と詠まれた所をば、普段着にては過ぎなん」と。殊勝なる事。

 

みちのくに、まかりくだりけるに、白河の関にて詠みはべりける

「都をば 霞と共に 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関能因法師(後拾遺和歌集

(春霞に京都を発ち、秋風が吹く白河関に)

「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関源頼政千載和歌集

「見て過ぐる人しなければ卯の花の咲ける垣根や白河の関」藤原季通(千載和歌集

ともあれ、めでたいことで、私も襟を正して、おめでとうございます、です。

 

高校野球大会に学ぶ

このところ、高校野球を見るようになったのは、野球というゲームのもつ戦略や戦術の複雑さへの興味とともに、教育的観点からなのかと思います。

今の高校野球は、昔の、軍隊のような高校野球とはかなり違っています。その違いとともに、その昔を受け継いでいる人たちもまだ要職にあり、スポーツに限らず、日本の組織に影響を保持しています。

その根本的なところを知り、悪い慣習を早く浄化して、新たな組織や指導体制にしていく、そのために、かつての日本と今の若者をつなぐところでは、高校野球が、なかなか深いものを持つように思えてきたからです。

 

今回であれば、強豪である大阪桐蔭、さらに近江に対し、どのように対していくかの戦略が、上を狙うチームには絶対に必要だったわけです。1試合限りで決まるのですから、奇跡やまぐれも期待できるわけです。下関国際は、その2チームを破ったところで、運を使い切った印象でした。それゆえに前の金足農業と重なったのですが。

今は、監督や選手が、そういったことについて振り返り、詳しく内実を話してくれます。よいケーススタディーになるでしょう。

これは、あまりにストレートな例で、組織体質、政治や宗教、日本的霊性、精神などとの絡みについては、いずれまた改めて触れていきたく存じます。

 

白河の関 

陸奥国に通じる東山道に設けられたた関所。奈良時代から平安時代ごろ、人や物資の往来を取り締まる。

国道4号沿いには、福島県警の白河検問所があり、「平成版・白河の関」とか。