fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

Youtuberに憧れる

◯コミュニケーション

最近の若い人たちのコミュニケーションに感じるところをまとめてみます。首都圏に住んでいる平均的なところでの見解です。私と接しているなかでは、学生や社会人で、芸能関係は除きます。

といっても、タレントやレポーター並みに、よくしゃべる人も少なくありません。頭の回転が速く、テンポが速く、立て板に水のような人もいます。

 

これまでですと、そのようになれるように、いろんなことを伝えてきました。

ところが今は、「まず相手の話を最後までよく聞きなさい」と言いたくなることがあります。話し慣れているようにみえる割には、対話やコミュニケーションがとれていないと感じることが多いのです。

 

かつては、緊張であがったり吃ったり、口籠ったり、たどたどしくしか喋れない人が多くいました。でも、それは、慣れと共に克服していったのです。本人も直そうとしたから向上したのです。

一方で、ちゃんとした大人は、たとえ就職の面接官であろうとお見合い相手やその両親でも、そんなことくらいで人物を判断しなかったのです。しっかりと身につけていないことは、口からすらすらと出てこないのが、人間としては、正常だと知っていたからです。

日本では、話がうまいというのは、騙されるな、ということで、ほめことばでは、ありません。下手なところにこそ、個性や人柄が出て、ことば以上に本音として伝わるものが大きいからです。そこを汲み取るのが、人間関係の基本です。それは、私の思う「違いを知るためのコミュニケーション」が成立していたからです。

 

今は、コミュニケーションというと、仲間である確認のように考えられているのでしょう。共通の話題を優先することで、違いは、問題意識として上がらないのです。そうした違いに気づいても、やさしくスルーして同質性を高めるようにしているかのようです。

 

ですから、良い面でいうと、相手の肩書、キャリア、年齢や性、人種などで差別や区別することがありません。フレンドリーなのです。

これは、日本人らしくはあっても、国際人としては、力不足に感じます。

なぜなら、価値判断がないからです。誰の意見も聞くにはよいのですが、それは、決して、同質の価値ではありません。相手の話から絞り込み、より掘り下げた価値ある内容につなげていくのが、対話です。話材が次々に展開されるだけでは、なんら実りません。

 

若くて話のうまい人には、通販番組の一方的なプレゼンテーションのような傾向が強いように思います。それを私は、オンラインやプロジェクト型の授業のせいかとも思いましたが、どちらかというとユーチューバ、YouTubeチャンネルの視聴による影響がストレートに大きいようです。

たとえば、アンミカさんがあのように話すのは、仕事です。でも、日常シーンでは、アンミカさんみたいな人は、一人いたら充分すぎます。まして、ジャパネットの高田さんはいりません。

小学生の男女とも、なりたい職の上位に、youtuberがランクインしました。当然、知らずとその配信映像が、お手本になっているわけです。YouTube配信なら、そういうのでよいのでしょう。

 

◯イントロ5秒

この前、音楽番組で、ポピュラーソングのイントロが、1980年代平均20秒くらいから2019年に平均で5秒になったとか。YOASOBIのヒットした三曲は、イントロなしです。LISAさんの「紅蓮華」、KingGnuの「白日」、米津玄師さんの「Lemon」など、イントロなし曲が増えたから、平均すると、5秒ということです。

久保田早紀さんの「異邦人」なんか、すごい長いイントロでしたよね。

先日、裁判で、ファスト映画として、1本を10分ほどに編集していた輩が損害賠償請求されました。

今や、早送りで映画やドラマを見る人のも当然になってきているのですね。

アナウンサーはじめ、全ての喋りのテンポは、速くなってきています。音響技術の進歩もありますが、聞く方がしっかりとすべてを聞くつもりもないわけです。

ザッピングが前提なのです。コンテンツを、劇場でなくメディアで受けると、そうなりがちです。見逃してもまた見ることができるからです。

そのペースとなるのが、テレビから、今日、youtubeに移りつつあるわけです。その編集ノウハウであり、音声の使い方、話し方の技術です。

 

YouTube世代

若い人の会合などでは、それなりに明るくテンションが高く、カラオケの密室コミニケーションのような雰囲気などで、好感も持てます。でも、暗さや沈黙に耐えられないのかもしれません。編集なら、場面カットできてしまうのですから。

一人づつでみると、初対面としては、自己PRがうまいのですが、皆が似た感じで印象に残りません。昔から、人と違うことを無理にアピールするやり手がいましたが、そういう失敗で印象付けるような猛者はいません。平均レベルに抜け駆けしないように自己規制、自己調整するようになってきているのでしょう。

それに反して、youtubeの番組制作&配信者には、昔の深夜放送のパーソナリティのようにはじけている人も多いのですね。

 

もちろん、真逆のタイプの人も増えています。鬱や引きこもり歴がそのままみえる人、年齢相応に社会慣れしていない人、いろんな人生経験が著しく欠けている人など。

つまり、両極化もしていると思われます。

 

こうした無理難題を無理やりまとめて、対応策など考えていきたく存じます。

なんと言っても次代をつくる世代を放っておくわけにはいきません。

余計なお世話とは重々承知の上、お付き合いください。