fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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理解という誤解 コミニケーション

◯2個目の金メダル

北京オリンピックスノーボード男子ハーフパイプ平野歩夢選手が逆転で金メダルを獲得しました。金メダルを数えないと言ったばかりですが、5個ぐらいまでだと数えなくてもわかりますね。

ハーフパイプは、長野オリンピックの頃に出た競技と思いますが、パイプを半分にしたということですね。夏冬両方で出られるのは、魅力でしょうね。

インタビューなどでも、あの、やっぱり、の繰り返しで、初々しい感じがしました。アスリートも芸能人化すると受け答えが上手くなって、興ざめすることがあります。棒読みとヌケが魅力なのですから、以前のサッカー選手の受け答えの、そうですね、と同じで、素のままでいて欲しいものです。

 

〇誤解と理解

人と人とは、お互いに誤解し間違って結ばれていきます。

理解でありません。理解し合うよりも誤解し合う方が、しぜんなのです。

お互いがわからなくなるのは、わかり合おうとするからです。

わかり合ってしまったら、そこで関係は、終わってしまうのです。

 

〇コミュニケーション

コミュニケーションとは、メッセージでなく、そのやりとり自体で、

それは、誤解するように組み立てられているのです。

「言いたいことがわかった」とか、「あなたがわかった」というのは、

密なコミュニケーションの終わったこと、というと伝わるでしょうか。

 

相手が何を言っているかわからないというところで、コミュニケーションは始まります。

わかっていたら、そのことは話さないわけですから当然です。

こういうことでは、ないだろうかー

と言い直していくプロセスで、コミュニケーションは成立するのです。

ことばでなく、その感じのところに至ったときには、コミュニケーションがとれるというよりは、わかり合えるのです。

日本では、コミュニケーションというのは、相互理解での同意のような感じがあるので、あえて、それを使わない方がよいことが多いです。

欧米では、コミュニケーションは、お互いの異なる意見の根拠の理解のような感じです。決してコミュニケーションで意見を一致させることではありません。

お互いに考えが違うのに、話し合いですぐに一致するとしたら、それはどちらかの同調圧力のときが大半だからです。

 

◯オーディション

例えるなら、舞台のオーディションで、先の可能性があるような人は、審査する側にわからないと思わせるわけです。もう少しみたいといえばよいでしょうか。

合格しない人は、わかってしまうのです。いえ、限界をわかった気にさせてしまうのです。

歌なら、1曲歌っている途中でもう、そこからどうなるかわかる、その後の歌が全部わかる、それでは、プロにはなれません。

わからないっていうのは、奥行きがあるのです。

 

それは、なにかしら、人はわからないことに惹きつけられ、興味関心を持って、学んでみたり経験してきたからです。

それは、頭の中に入ってるだけではダメで、身体から、セリフから、声から感じさせなければならないのです。それをオーラのようにいう人もいます。そこまでいかなくても、わからせてしまうというのは、可能性を見切られたということなのです。

真剣の勝負だと、相手の技を見切ったということになるのでしょう。