fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

ロゴスと創作

◯ロゴスから

新約聖書ヨハネによる福音書の始まりは、「始めにロゴスがあった」。

これは、集めるという意味のギリシャ語#です。そこから、教える、説明、理性、言葉、論理という意味に発展していきます。

 

主観は、自分の意識によるので感情的なこともあります。それに対して、客観とは、それを離れて使われるので、論理的、理性的、合理的なニュアンスを持ちます。

この主観と客観が一致するものを正しい知識とするという認識論で、近代合理主義が築かれてきたのです。

そして、自由です。自由な思想、自由に考え、発言すること。

自由は、自らによる、自分に頼る、自分に基づく、ですから、権威にとらわれずに、古くからの考えやまわりの考えを自分なりに疑ったり解釈したりして新たに得ていくことになります。

 

◯受容から創作へ

楽家になるのなら、音楽をたくさん聞かないと、聞かられせる人にはなりません。文章をたくさん読まないと文章を書くことができないのと同じです。まずは、受容からスタートするのです。

よいモノは、モノの見方から出てきます。表面を並べてもクリエイティブなものにはなりません。裏を見て、どこか違う見方をしなくてはならないのです。

ですから、あまのじゃくになるしかありません。でも、それだけで終わっては、ただのおかしなものに過ぎません。決め手となるのは、イマジネーションとそれを表現して伝えられるロゴスです。

 

私は文章を書くときに、2つの関係ないものを並べて、何とか共通点を見つけて結びつけようとします。このブログも、そういうことを試みての習作が多いようです。

それが新しい発想をつくり出すためのプロセスだからです。それを意図的にか頭の中で無意識にやれたのかは、自分でおもしろく楽しめるところです。

 

会話も同じです。雑談をするには、相手が話したいことや、話そうとしていなかったけれども話せることを、気づいて問わなくてはならないのです。その点では、一方的に持論しか話せない人が多いものです。

私が出会ったなかでは、谷川俊太郎さんは、稀なる優れた質問者でした。質問するときの言葉遣いと心遣いによって、相手は心を開きます。この人なら自分が何かを言ったときにわかってくれると信用して語り出すのです。すると、自分でも思いもしなかった言葉が出てくるのです。

 

 

 

#ロゴス(logos)とは、古典ギリシア語の λόγος の音写。

言葉、言語、話、真理、真実、理性、 概念、意味、論理、命題、事実、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、整合、言論、言表、発言、説教、教義、教説、演説、普遍、不変、構造、質問、伝達、文字、文、口、声、ダイモーン、イデア、名声、理法(法則)、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本性、事柄そのもの、人間精神、思考内容、思考能力、知性、分別、弁別、神、熱意、計算、比例、尺度、比率、類比、算定、考慮などの意味。

転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」「言葉(言詮)を通じて表される恒常的真理乃至それに付随する言詮内容」という意味で用いられる。

万物の流転のあいだに存する、調和・統一ある理性法則。

「宗教(ミュトス)的位相」であるキリスト教では、神のことば、世界を構成するミュトスに基づく論理としてのイエス・キリストを意味する。

ロゴスは、ミュトスと対比して用いられていた。ミュトスは、“神話”と翻訳されることも多いが、原義としては、人が語る“ものがたり”や“お話”等の虚構全般を指す、ギリシャ悲劇や喜劇、アイソーポス(イソップ)の寓話の題材もミュトスである。

このミュトスに対して、ロゴスはある。「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」がある。(Wikipedia)