fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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スマホ歩きの行方

SNS依存症

スマホがないと何も手につかない。そうしたSNSへの依存度が増しています。

テレビが普及したときも、そう言われました。ただテレビの場合は、ワンウェイですし持ち歩くことができなかったことで限定されたわけです。

むしろ、携帯電話の普及時に近いかも知れません。ただ、映像がウェアラブルとなったことは大きな違いです。

時空の制限のなくなったことで、プライベート空間が、公を崩していくことになっていくのです。モラルの崩壊の代表的なものが、歩きスマホです。

 

◯クレーマーか親切か

かつて外国人が日本でマックを食べながら歩いているのを見て、かっこよさより抵抗を感じた真面目な私でしたが、今や通勤電車の中でパンやおにぎりを食べている人や化粧をしている人に言葉も感情も失っています。

世の中をダメにしていく、だめな大人なのかなという、この良心の呵責も消えているのでしょう。

注意してキレられ刺されたりすることが、怖いわけではありません。こちらの注意することが、その人の将来の為になりそうもないと、わかりすぎているからです。

こんなことさえ、モンスタークレーマーと思われかねないのですが、ただ、わざわざその人の人生の1日を不愉快にしてしまうことに耐えられないのかもしれません。

若い人だけではなく、親や年配の人がやっているのだから。もはや、そういう社会的合意がなされたとみなされるのでしょう。

地方の列車では、弁当やお菓子を食べているのはあたりまえなので、やや扱いにくい例ですが。

 

◯注意への免疫

あまりに人に注意されないで育っていくと、注意されることがぶん殴られたように、心に痛みを感じるような人になってしまうのではないでしょうか。

そうならないために、注意されることに慣れ、免疫をつけるのも、ワクチンより大切のように思えます。

言葉なので、受け止める、受け止めず覚えておく、忘れてしまう、これらをうまく使い分け、言葉と感情の処理に世慣れしていくことです。

ぶん殴られるわけではないから、言葉には自分なりに対処ができるようになるはずです。自問して対応策を考えていき、予期せぬ事態にも備えていくことです。

 

◯状況判断

疲れたりストレスが溜まっていると、いつもは気かけないような言葉が、すごく反感を覚えたり、咄嗟に言い返したりしてしまうこともあります。自分がそういう失敗をすると、相手の言葉も、普通の状態ではないところで言ったのかも、などと真に受けず理解できるときもあります。寛容になり、人の言葉にも振り回されなくなれます。

その点で、先のアカデミー賞ウィル・スミスとコメディアンのやりとりは、言葉の使い手のプロ同士なんですから、ことばで行うべきだったとなるわけです。

 

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