沈みゆく日本のイメージを捨て、大きく学ぶ

◯ネガティブなイメージを固めない

日本の失われた30年は、ネガティブな言葉のオンパレードでした。

縮小、崩壊、衰退、内向き、閉塞感、孤立、ガラパゴス化など。

その中で育つと、そういうワードでしか考えられなくなっていくのではないかと思うことがあります。若い人にネガティブな発言を聞かせないようにする配慮はしてもいいと思います。

「日本は悪くなるばかり」「何をやってもダメ」「もう勝ち組と負け組が決まっている」

んなイメージは、拭い去って欲しいものです。

 

失われた30年、その前にバブルという最後の繁栄があったー

だからといって、バブルも誰かが作り出したのですから、繁栄もまた誰かが作ろうと思ったら、これからでも作れるのです。

日本の経済は、敗戦で壊滅してから、10年で戦前水準まで復帰したのです。日本人は再興のエネルギーに溢れ、一途に働きました。それを邪魔する者もいなかったのでしょう。

物量で負けたアメリカの追いつけ、追い越せが目標でした。追いついたと思ったところで止まったのです。

 

◯目上の人から学ぶ

私の世代では、何をするにも、年配の人の目が気になりました。それにもめげずに言い張ると、彼らは怒鳴られて育ったのでしょうが、私たちは冷ややかな目で見られました。それとも戦い、妥協もしてきたのです。

私の場合、譲れないものがはっきりとしていて、それ以外は譲るとしてきたので、ものわかりよく思われていたように思います。自分のメインのこと以外は、どう見られようが何を言われようが気にならなかったからです。

思い通りに自由に行動する、そのためには実績をあげることです。仕事では稼いだ3分の1が報酬と割り切っていました。早くから一人暮らしで収支のやりくりをしていたので、事業者のような考え方になっていたのでしょう。時間と経費と人を使って、その差額が収益という簡単な算数です。

会社員にとって、あたりまえらしい基本給やボーナス、ベースアップや残業手当など、複雑すぎて頭に入らなかったのです。その結果、定時まで会社にいて言われたことを卒なくこなし、経費を節減して給与を取っていく人より、必要な人材と判断をしてくれる人たちに巡り会っていくことになりました。

ですから、正社員とか非正規とかフリーとか、大企業、一流会社、上場企業の社員とか、そういう区分けは、私の中にはありません。

そうしたなかで、何もない自分を主張するよりは、実績のある相手の経験から学ぶことを優先してきました。なんでも自分次第で、仕事になる、そのやりようを学んでいきました。

 

◯愚痴を言わない

若い人が、思っていることを明言するのは、よいことです。上の人が、そうした意見を吸い上げようというような態度にもなったからでしょう。言いたいことを言える環境になりつつあります。

ただし、中身が問題です。幼稚なもの、感情のブチアゲ、愚痴の繰り返しでは、聞く方も疲れるだけです。そういうのは、昔は、飲み屋で発散したものです。

公の場では、プラスの動きになること以外には、時間を割きたくないものです。

でも、その区別がつかない、わからない人、そういうことしか言わない人からは、人が去り、ただの愚痴仲間が集います。類は友を呼び、低迷し続けるのです。

 

◯先達に学ぶ

どうも、なんとなく、そういう生きた材料である年配の人を遠ざけがちの人が増えたようにみえます。気楽な仲間とだけつるんでいて、話が合う方が楽だからでしょうか。かつて海外でその国の人とでなく日本人同士で連んでいた団体客を彷彿させます。

それでは、大きく学べない、大きく学ぶということさえ、仲間同士同じレベルの中では、わかりようがありません。

激烈な競争社会を勝ち抜いたり負けたりした人からは、多くを学べます。その濃厚さに学べば、今の世の中など、どうにでもなるくらいに生きやすくなるはずです。

年上の人の学び方にも学ぶだけの価値があります。

先達から、たくさんのことを学んでください。苦労話も失敗話も、話されることからは、いろいろと学べます。宝の山です。よい質問魔になりましょう。