「バタフライエフェクト モハメド・アリ」  表現すること 立つこと

ブログで、「世の中、平等ではない、」ようなことを述べて、ずっと引っかかっていました。「平等に扱ってほしい」という人に、直接、向けたものでないのですが、私が当事者でもなく、あなたに面してもいないからです。

でも、私の知る世界は、平等ではなく、そう扱うことができないこともあります。

あなたが生きていくには、そうした覚悟もそれを忍耐したり我慢したり、乗り越えたり対抗したりすることも出てくるでしょう、という意味に過ぎないからです。

ロシアのことを述べるだけで不快になる人もいる、それも書くたびに引っかかっています。

発言した瞬間から、それが受けいられようと、どう扱われても、その前にネガティブな気持ちになるのです。

不快さを与えた人がいなくても、どこかでそう思う人がいそうな、あるいは自己顕示したような、気まずさや喪失感、誰にも何も言われないのに微妙な痛みを受け止めては押し出す、それが表現の代償と思ってきたのです。

 

<「モハメド・アリ 勇気の連鎖」映像の世紀バタフライエフェクト初回放送日: 4月4日

1954年、12歳だったアリが愛用の自転車を盗まれたことがすべての始まりだった。怒りに燃えたアリはボクサーを志し、無敵のチャンピオンとなる。その言動は、世界を大きく揺さぶった。ベトナム反戦運動を燃え上がらせ、オリンピックを揺るがす表彰台での黒人差別への抗議をもたらし、史上初の黒人大統領誕生へとつながる。世界を敵に回しても信念を貫いたアリの勇気は、世界を変えたのだ。貴重映像でたどる勇気の連鎖の物語。(NHKの番組概要)>



モハメド・アリの徴兵拒否から奇跡の復活勝利などについては、知っている人も多いことでしょう。

この番組で、メキシコシティのオリンピックの陸上競技200メートルの1位と3位の黒人選手スミスとカーロスのエピソードを知りました。

アリから勇気を受けて、表彰台で人種差別に抗議ポーズをしたのです。そして、それに自ら同調して行動した2位のオーストラリア人ノーマンのことも。4月にキング牧師の倒れた年のことでした。

3人は、オリンピック選手としての将来を失うばかりか、世間の非難に晒され、妻が自殺したり友人たちを失ったり、大きな代償を払い続けることになります。

 

アリの大ファンのオバマが大統領になって、ようやく48年経ち、2016年、2人の名誉は回復されます。

ただ、オーストラリアの選手ノーマンは、名誉を回復されないまま亡くなりました。享年64歳、写真でみるだけでも輝かしい顔をしています。

その葬式に2人は出向き、棺を担ぎました。

ー( ;  ; )

 

オリンピックの表彰台に立つ2人の抗議ポーズの銅像が2人の母校にあります。2位のところは、ノーマンの銅像はなく、彼の意志で空けてあります。

「ピーター・ノーマンは共に立った、どうかあなたもここに立ってほしい」と文字が刻んであります。

「誰だって、この場所に立つことができる。そして誰もが知っていることのために立ち上がることができる。」(ノーマンのことば)

 

私たちがそこに立てるように空けてあるのです。

ー(;_;)

 

どうして、このように、小説や映画のようなことが、現実の世界で実現しているのかと思うのです。尊敬に値する大人の人間の世界、とでもいえばよいのでしょうか。

そして、2度目の東京オリンピックで、ようやく平等のための意思表示が認められるようになって、何人かの選手がアピールしました。人種差別や同性愛差別など、まだまだ抗議するものがたくさんあるのです。

 

栄誉より信念を選んだ選手たちの話、国や世界や友人を敵に回しても、生涯、信念を変えずに、命懸けで貫きました。

モハメド・アリが亡くなったのも、2016年でした。娘のラシェダ・アリは、スピーチを父の言葉で締めました。

「進むべき方向も真実もわかっている。他人が求める自分ではなく、なりたい自分になるんだ」

 

こういう話を聞くと、世の中、捨てたものでない、と改めて思うのです。

(NHKも、仕事以上のことをしている、とも)

それに値する人がいて、そのことに生きる勇気をもらうのです。

 

こうして、「勇気をもらった、など、いうな」と、いつか書いたときに引っかかっていたものが、とれるのです。

でも、こう書いて、また、なのに、そこに立ち続けられない自分の弱さに嫌悪感が疼きだすのです。改めて、これまで、何度、教えられてきたのかと。

 

誰だって立てる、立ち上がれる!