◯共同扶助から個別自立社会へ
昔は、仕事をしなくて、ぶらぶらする人も、親戚や近所の人が何とか食わせてきたので、生活保護などを受けなくても済んだような社会でした。むろん、生活保護制度などなかったのですが、村落共同体としてのセイフティネットがあったのです。
村落の機能は、都会では効きにくく、地縁、血縁関係が薄くなっています。
今や、家族でも、外食のアポを取り、レストランで集合して、食べて解散は、珍しくなさそうです。
同居したくないとか、うるさい家族と離れて暮らしたいと、若い人も年配者も望むのです。
親は子供に、何かを伝えるのではなく、お金をあげ、ただ便宜を図るようになってきました。そうでない親は、「親ガチャ」で外れた、とか言われそうです。
嫁姑問題も、頑固に嫁に家の風習を伝える姑はいなくなりつつあります。
学校では、授業が商品、先生までがサービス業のように扱われてきています。そうなると、その価値を説明しなければなくなります。価値が簡単にわかるものでないから、教育なのです。
◯伝承から伝統へ
古いものや古いやり方を伝えなくなってきました。
だから、軋轢がなくなった、いや、伝えるべきことを伝える努力を放棄しているのではないでしょうか。まるで若い人への忖度です。
これは、戦後の特徴であったのでしょう。一日で価値観が一変することを突きつけられ、
何もかも変わってきた時代を生き抜かなくてはならなかったからです。
先祖代々、伝わってきたものを拒んだ世代は、次世代にも伝えようとせず、伝える能力、いや、気概を失っていったのです。
本来、自分が受け継がなくとも、後世に受け継いでいかなくてはならないものがあります。それを個人の自由と履き違え、滅ぼしてしまったのでは、大罪でしょう。
「自分で考えて好きなようにしなさい」となりました。それは、自由で寛容な対し方のようで、責任放棄と紙一重です。
考えるにも、自分の好きを知るにも、それなりに枠組みや共同作業の経験が必要です。
そのたたき台や踏み台となるのは、無意識にも継承されてきたものなのです。
そうした上でも、何を選ぶか、何を信じるかというのは、とても難しい問題です。
思い込みや一方的に変えるのではなく、昔のもののメリットと今のもののデメリットをきちんと把握して、うまく融合させていくようにする方がよいに決まっています。
それが伝統を踏まえるということです。