アイデンティティというのは、行きつくところ、オリジナリティがあって、他の人では代替えのできないもの、そのかけがえのなさが価値です。
しかし、それは、ほとんど一見、馬鹿さ加減がすぎ、アホなことであるようなことも多く、人がすぐに受け入れられないようなことであったりします。
何らかの抵抗を感じるもの、すんなり受け入れられないものが多いのです。
そのため、世間では、欠点や短所と捉えられ、嫌われたり無視されることもよくあります。特に個人でなく複数名、どこかの群れからは反発を食らうものです。
そのように考えて、自分を見てみるとよいと思います。
自分で良いと思っているところは平凡なところであり、自分で良くないと思うところに可能性があるのです。
〇人間らしさ
すべての物事の発端は、誤解や方向違いの想い込みから始まるのです。
想いの強さのエネルギーが有り余って、何かをやり遂げたりしてしまう人が出るわけです。
そこが人間の人間らしいところ、人が人に心を奪われる瞬間でもあります。
〇ガラクタ集め
昔の子供は、誰が見てもおかしなこと、無駄であったり、変態的な欲望や執着心でガラクタ集めなどをしていたわけです。
これらは学校の勉強に全く役に立ちません。
冒険をしたり、くだらないものを集めたりしていることは、大人にとって都合の悪いことであったり、社会にとって迷惑なことであったりすることが多いのです。ですから、優等生には無縁です。朝から晩までダンスやスケボーに興じているなんていうのも、そうだったでしょう。
しかし、これらが長く生きていくうちに、いろいろと役に立つようになってくるのです。
◯教養化
大学での一般教養や古典講読みたいなものも、そこまで個人的でありませんが、似た点があります。あるいは、学校の勉強、部活動、課外活動などの大半などもそうかもしれません。
行っているときには、社会で役立つものなどと思わず、熱中してしまうのです。
しかし、自分が長く生きて、深く歩もうとしたとき、そうしたものが、いや、そうしたものから得られたものこそが、支えてくれるのです。
〇トラウマと作品
幼いときの不理尽で不条理な体験もまた大切です。
世の中に止めようのないような大きな流れがあり、それによって悲劇的な人生を歩まされることがあることを示唆してくれるのです。
天災であれ人災であれ、誰もが厳しい人生を生き抜いていきます。長かろうと短かろうと苦労とともに一生を終えるのです。そういうときに、それに耐える力となります。
そういうなかで、何とかしたい、それをとどめようとアートは生まれ、誰かに伝えたいと何かを残すのです。そして誰かが同じ思いを共有し、継承していくのです。
そうしたマイナスのものをプラスに変えられるのが、人間の偉大なる力です。
それは、異才、鬼才とか奇才と呼ばれる人たちだけでなく、誰もがそういう力を持っているのです。
人が憧れるような美しいものは、案外とおよそ醜悪なもの、不要と思われるものから生まれるのです。
最後まで人間に残るのは、AIが入力しえないものでしょうね。