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ミニマリスト 仕事と人間関係  カーリングまとめ 西郷輝彦さん死去 

西郷 輝彦さん死去橋幸夫舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれました。ヒット曲「君だけを」「星のフラメンコ」など。

 

カーリング総まとめ

カーリング女子、ロコ・ソラーレは、銀メダル獲得。今回、彼女たちの声に言及してきました。

ピョンチャン五輪の銅メダルの前チームでは「そだねー」という北海道方言が新語・流行語大賞になりました。北京五輪では「ナイスー」でしょうか。私は「いい感じ」というのが好きです。

カーリングでは、選手に試合中、マイクをつけ、視聴者に選手の声で戦術などを伝えるのをファンサービスで行なっているそうです。五輪では2006年のトリノから。

男子のカーリング決勝も、延長の末スウェーデンがイギリスを破りました。その解説も素晴らしかったし、女子の方は、市川美余さんのNHKの解説も評判でした。

かつての男子フィギュアスケートなどと同じで、男子のカーリングなど見ても、と思いつつ、なかなか見ごたえがありました。先入観を壊されるのは、快感です。

何事でも1つのことに賭けて続けている人は、素晴らしいと改めて思いました。

 

 

ミニマリスト

ミニマリストという生き方について、人がそのように生きるのは、自由で勝手なので、批判するつもりはありません。2015年流行語大賞に選ばれたときも、ノマドと同じように、私には関係ないよーと思っていました。大体、ブームになってから、それにハマる人は、すでに時代から遅れているわけです。

最近は、FIRE(Financial Independence, Retire Early)を目指す人も多いようです。経済的自立と早期リタイアのことですね。

こうした言葉は、昔からある実態に新しく付け替えただけなので、言葉を変えるのでなく実態を変えていないのであれば、単に古いことを繰り返しているのに過ぎません。

 

◯仕事と芸事

ブルシットジョブ、クソどうでもいい仕事の理論ー

危うく一生懸命生きるところだった、もう一生懸命はやめようー

というような本も売れてもいるようです。

仕事なんかやめて、毎日楽しく生きようなどというのは、楽天主義というよりはニヒリズムのようにも思えます。経済的な自立は、IT投資とか仮想通貨とかで、というわけです。FXのブームを思い出します。

どうも気になるのは、何でも楽しく楽なのがよいように思ってきていないかということです。

 

一生懸命に何かを徹底してやって、ときに疲れ、癒される時間をとるのは大切だと思います。しかし、本屋に行って、そういう本を買って、そのノウハウを試そうとする人の多くは、そこまで行き詰まってない、もちろん、本人の中では、目一杯、飽和しているし大変なのでしょう、

でも、心身や思考、その器自体を大きくしなければ、事態は変わらない、、このブログの中でも繰り返してきたことです。

 

今世紀でいえば、YouTuberほか、ITや金融での机上のマジックのようなことで、収入を上げて、好き勝手に生きている人たちに憧れ、いつか、そのようになれると、思考があちら側に行って、あちら側からしか見えなくなってしまった人が増えています。

ほんとうにそんな人生がいいのか、など疑いもせずに、派手なInstagramにマウンティングされて、リッチ風な生活像に憧れている人たち。実態は、そういう一部の成功者に翻弄され搾取され、その「構造」が、ネズミ講みたいなものに思えることもあります。

 

例えば、カーリングで毎日ストーンを投げ続け、技量を高めていくようなことの豊かさ、チームメイトと人前での試合で全力を尽くして、悲しみも喜びも味わっていくことの生き方の素晴らしさを、思うのです。

それはオリンピック選手だけでなく、日々の仕事や芸事を通じても、実現できます。自分が変わればできることです。

私のまわりにも、20年、30年と、1つのことを続けている人たちがいます。有名になるとか売れるとかに囚われず、続けているだけで素晴らしいことだと思うのです。そうした人たちの生き方に触発されて、私も続けてこれたからです。私は今でも、人と会うのも仕事も面倒だし嫌だと思います。しかし、100回に一度でも素晴らしいことが待っていて、全てが報われると思っています。

 

生きること、出会うこと、お互いに変わること、

そのためには、続けることです。

晴耕雨読ではありませんが、何があろうと自分で決めた毎日をきちんと送っていくこと、その充実感を味わってみてください

 

ミニマリストと人間関係

ミニマリストに加え、断捨離、さらに終活という言葉も出てきたために、まわりにも身辺整理をし、必要以外のものを全て捨ててコンパクトにまとめていこうとしている人が多くなったようです。確かに、あの世が見えてきたなら、それもいいと思います。

 

私がミニマリストのようにしないのは、まずは、いろんな人たちと生きてきて、その人たちのことを考えたときに、自分の分だけの水とか食料しかないというのは、とても不安だからです。ラクタのようなものでも、アウトドア関連品なども、非常時に、用途変更して使用したら、役立ちそうと思うと、捨てられなくなります。

 

最低限のものだけとなったときに、最低限必要というのは、どの生活に合わせてかということになります。自分が今日、生きていくために必要なものだけなら、今日、生活できる分の衣食住だけでよいと思います。それがミニマムでしょう。

しかし、人間は先のことを考える能力を持ってしまったために、貯金をしたり保険をかけたりします。家族や仲間などを養ったり保護したり、助け合い、持ちつ持たれつで人生を全うしていくのです。

こうした人間関係なくして豊かな人生は望めません。

そう考えたときに、若干の余裕は、必要ではないかと思うのです。

 

日本という災害大国、地震津波か噴火か、

何が起きるかわからない薄氷の上に住んでいるのですから、

それを全く考慮しないというのは、賢いこととは思えません。

 

狭い国土で人の住んでいる近くに原発をつくって、テロの標的になることなど考えない、呑気な国の民ではありますが、

自分の身辺のことから想像力を広げてみましょう。

 

付言、

電車の中吊りで、林修さんが

災害にソナエるのが、愛でしょ。

と、災害時位置情報アプリ、ココダヨのCM。