個と種のパラダイムシフト

卓球,男女とも,張本選手以外、中国に勝てませんでしたね。

 

◯種族より個人

人間の生活には、社会構造があります。家制度も,その代表的なものの一つでした。これは,相続なども含めて、子孫を残し家を継続させていくためでした。自分は死んでも子供を残す,種としての生存戦略です。

しかし、人口が増えすぎた現在においては、種の保存は、個人の生き方に優先することでは、なくなってきたのです。人類が増えすぎての絶滅を防ぐブレーキが、かかるのは当然と思います。

 

◯日本の事情

でも,日本では、少子化♯で減りすぎていくのですから、国が1億人の維持や出生率をあげる社会政策をとるのもわかります。個人からすれば,国家的なハラスメントとなるかもしれませんが,立場が異なるわけです。

でも,中途半端にするのでなく、子育てや教育にしっかりと金を回せ、です。

 

◯死生観の喪失

こうしてみると、私の生きてきた時代のなかで、真逆とまでは言いませんが,価値観が大逆転したのです。産業革命フランス革命が起きたみたいなものです。

将来の子孫のことより今、子供より自分が大切、誤解を恐れずいうと,そういうことです。相続も後継者もなんも考えなくなった、老いたり病気や事故で死を意識してジタバタするのです。死生観の喪失です。これもある種の平和ボケでしょう。でも,これもまた,変わっていくでしょう。

 

◯歴史の断絶

昭和までの日本では、結婚して子供を産んで、男性は稼ぎ、女性は育児をし、子供が自立したら、余生で孫をみて、みまかるのが、スタンダードな生涯でした。つまり,私以上の年代の人の前半生です。

人類史において、自由恋愛での結婚がかなり特殊なものだったように,自由な職業選択などもかつてはあり得なかったのです。

今、不公平などといわれる制度やシステムも,その時代においては、合理的であったのです。ただ、誰かによく誰かには不理尽であったのです。その程度が著しくなると、ひどいとなるのです。そして,変わっていきます。


◯今の時代をどうみるか

いくら自由に、機会均等,フェアな競争で人生を決められるようになっても,それはそれによって、いずれアンフェアな格差が生じます。近代のどんな社会改革をみても明らかです。

この21世紀こそが史上最大の格差社会なのです。なのに,自由や民主主義とか実力社会と洗脳されて,私たちは従っています。世界の人の半数以上がぶち切れてもよいくらい,貧富の差がひどい実態に関わらずにです。暴力はよくないといわれて、、、。

挑発に乗ったのは,プーチンだけ、

これ以上,言うと私もプーチンとされるのでやめますが。

 

生まれによるアンフェアの方が、実力による格差ほど大きくなく、受け入れやすく生きるのも楽だったかもしれないと、時おり、無責任に考えることがあります。

これは,日本の国体や皇位継承問題とも関係していることでしょう。

続けます。

 

♯日本の人口,このままでは,2065年8,800万人、これは2010年人口最多時の3分の2、

2100年、6,000万人。