◯批判を否定する批判
「専門家ではないから言う資格はない」という方向からの批判をたまにみることがあります。分をわきまえることはよしとしても、その上での発言の自由です。
専門家ではないからこそ、言えること、言わなくてはならないこと、わかることもあるのです。
◯専門家の定義
その前に、何を持って専門家なのか、というのは、専門家にも分野の違いやレベル差があり、決められるものでありません。極めている人ほど、多才であり、どこかの専門に留まらないものです。
このコロナ禍で、いろんな専門家が自分勝手な解釈、見解を披露しあったからです。多くは、専門家とは言えない人たちであり、本当の専門家であれば曖昧なままで実証もしていない状況で発言できないのです。とはいえ、緊急事態、そうした発言もまた必要なのです。
◯自分でやれと言うブーメラン
もう一つは、「言うだけでなく、自分でやれ」という方向での批判です。「政治家や実業家になって言っていることを実践してみろ」というようなものです。よい読み手とよい批評家がいてこそ、何事も成長していくのです。
と言うまでもなく「やれと批判するならあなたがやれば」と言うブーメランになります。何でもかんでも他人にやれという人ほど自分では動かないものです。
これまでも、「それも私に求めるの、そういうあなたは何をやるの」とは言い返さないできましたが、そんなものなのです。
◯専門家に判断を任せない
現場で非常時に最善を尽くすことを求められる職では、論じたり迷ったりしてはいられないから、指示通りに動くのは、当然です。警察、消防、軍隊に通じるところもあります。
専門家や技術者も、ときには現場優先で対処せざるをえません。
だからこそ、そうではない文官や政治家が、1つ上から大局を見て、現実的な対策を立案し実行する必要があるのです。
◯自分のみる世界
世界のみえ方は、ことばに依るものです。ことばが示すのは、リアルなものでなく、自分のいる世界で、社会的、文化的に決められていて、そこで切り取られたものに過ぎないのです。
今回は、専門家についても批判についても、一貫性のないものになりました。これを元に考えてくださるように望みます。
◯学びの場の変革
私は、場を変え続けるために、いつも次のようなことを考えています。
身銭を切った学びの場を保つこと
常に変化に対応、固定のカリキュラムなし
できるだけ人に任せ、多様化、現場での自由裁量権を与える