fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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〇健康の定義 2014/08/07

〇健康の定義

 

 体や健康について語ることが多くなりました。まずは、その定義から始めなくてはいけないと思いますので。WHO(世界保健機構)で、健康とは、Health is a state of complete physical and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.(健康とは、病気でないとか弱くないというだけでなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にもすべて満たされた状態であることです)と定義されていました。それが1998年に、a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-beingと補われて改訂されました。(日本人のイメージするspiritual霊性)は、少しニュアンスが違うので訳せないのですが)

 

〇リスクのトレードオフ

 

 有機や無農薬といえども、農薬を使うより悪いケースもあります。種自体が汚染されたり、みえないカビが繁殖するとか、何よりも、植物自体がストレスで農薬に近い有機物質をつくるらしいです。(防虫のためですから、似てくるわけです)よい農薬を正しく使うのとどちらが安全かということも条件次第なのです。

 こういうのを「リスクのトレードオフ」と言うそうです。つまり、あるリスクを避けることで他のリスクを高めてしまう。間代材の割りばしをやめると箸を洗う洗剤の量が増えるとか、燃やすとダイオキシンの元になる塩化ビニールを電線に使用するのをやめると火災が起きやすくなるとかいうことですね。

 

○トレーニングのリスク

 

 私がこれまでで述べてきたことにも発声についての「リスクのトレードオフ」と言えるものが少なくありません。何かを得たために何かのトレーニング(メニュ、方法)をすると、それが得られるが、何かが失われる。ゆえに、そこから時間をかけて失ったものを取り戻すか、両立させられるように得ていくようにしていくことも考えるべきです。なのに、多くの人は得たい方にばかり目が行ってしまい、失っていることに気づいていないわけです。

 練習しても目先の成果に眼を奪われて、やがて、その先に行けなくなるということが、その代表例のようなものです。基本や基礎をやりたいと言いつつ、応用の方ばかりみて基礎をみない人の方が多いのです。他人に学びにいくとは、一人でやっていると、そのうち頭打ちになるのを避けるためではないでしょうか。なのに、多くの人は自分で頭打ちになる方を選んでしまうのです。応用はみえやすく、基礎はみえないからです。

 

○みえないものを選ぶ

 

 みえないものをみえるようにしていくのが、あるいは、みえないままに感じられるようにできるようにしていくのが基礎というものです。だから時間がかかる。その分、みえないものが深く、太くなるのです。まさに建物の基礎、木の根と同じなのです。

 確かに30年くらい前の日本の農産物は危ないものもあったと思います。家族で食べるものと市場に出すものを分けていたとか。そのまた昔は、悪い方を家族で食べていたのですから、モラルが低下していたといえるのです。中国に何かと批判的な人は、戦後の日本を知るべしです。今はそこまで悪くない?といえ、そういう時代の変化も考えていくことです。

 

○批判するまえに

 

 さて、何事にも、反対や批判をしている人は、どういう分野でも、相手の現在の状況ややり方を全く見ないで、何十年も前の情報、知識、体験を基にしていることが少なくありません。偏見、思い込みを避けるには、たえず勉強が大切です。

 50年前の教え方や海外での経験などには、そのまま、今に通じるものもありますが、学ぶ人の方が変わってしまって通じないものもあります。そこで私は若い人やトレーナーと一緒にトレーニングを行い、多くのことを教えるのではなく学ばせてもらっています。

 私は、現在の農薬を肯定する立場ではありませんが、農薬を使ったこともなく、現在の使われ方を学ばずに、一方的に批判、非難してよいわけではないと思っています。批判するには、好き嫌いでなく、現状を踏まえて論ずる必要があります。そういうことができていないと、過敏になりがちです。

 というのは、発声、ヴォイトレなどでは、さらにひどいことになっていると思っているからです。かといって、昔はよかったなどと言うのも、よいところばかりみていることが少なくありません。農家は新鮮な野菜ばかり食べていて健康によいと言っても、自分でつくる分、種類が偏っていることもあるでしょう。

 

〇睡眠について

 

Q.睡眠について教えてください。

A.30代のとき、どうしても時間がとれなくて仕事のやり方を考えるために睡眠の研究をしたことがあります。眠る時間を惜しまざるをえない状況であったからです。頭を使うだけでなく声という、睡眠にとても影響されることを続けていたからです。

 私は「一日練習して一日寝て声ができあがっていく」という考えをもっていました。どこかで聞いたのかもしれません。学者の研究などと異なり、どんなに詰めて勉強したり徹夜しても、発声については、喉の疲れが回復せず逆効果になりかねないという現実があったのです。その分、他の人よりも大問題でした。

 そこで、睡眠について入門書から専門書まで100冊以上読みました。今ほど眠りの研究や不眠症の問題は取り上げられていなかった頃です。そして最終的に、自分で考えざるをえなくなりました。なぜなら、それまでの理論の根拠となる実験は、ネズミを使ったものか、人体実験が許されないために、過酷な状況に偶然陥った人の例、炭坑の落盤事故で闇の中に閉じ込められたとか、戦時中の収容所内とか、外国の、しかも古い例であったからです。とても私自身のケースに応用するには無理がありました。それならば自らを実験した方がよいと思ったわけです。(まさにヴォイトレと同じ対し方でした)

 結果として、私は、2つの仮説をたてました。1つは、25時間周期と124時間との関係について、もう1つは早朝活用というよりも、24時間365日の組み立て方を睡眠の研究から考えたわけです。(後日、その理論も紹介するつもりです。研究所も執筆も、自らの理論で支えて、仮説―実証していくのも同じスタンスです)

 その後、その流れで食事についても取り組みました。スポーツ選手の食事の管理が脚光を浴びつつあったからです。今では、ほぼアスリートの栄養管理士に任せもよいと思っています。日々、進化している研究や食品に追い付けないので、専門家に任せています。

 

〇短絡にしない

 

 当時は、声の研究所で何百人に何年も試しているヴォイトレと同じ状況と思ったものです。他人の本から学んで、それを自分や自分以外の多くの人と長い年月をかけて試行しました。それにもかかわらず、必ず、結果は偏ったものとなるのです。

 仕事や芸ということなら、一時、多くの人が支持しても、長い期間、多数の人が支持するものは少なく、それはかなり的を得ているものと思っています。よく言われるほど「大衆はバカ」ではないのです。

 しかし日本では長く続けているものの価値への理解やリスペクトがなくなってきたのを危惧しています。よく、こういう分野でも、新しい論や方法なども出ますが、10年、20年持続した結果と検証がなければ、それは自分だけの試論、体験談(しかもその多くは思い込み)に過ぎません。長く続けて、時間をかけてみることは、大切なことです。

 よく脱サラ起業と、定年で経営、そば屋の開業などでスタートしたことが成功のように取り上げられていますが、5年経って、その95パーセントはなくなっているのです。201しか残らないのです。少なくとも510年は続いてから成功というべきです。まして、退職金や借り入れで開業などというのは、ただの赤字続きということです。黒字になってから、成功というべきです。

 芸でのデビューも同じです。ただ日本人は、就職というか、就社でおめでとう、大学入試合格で、人生は成功、そういった思考をしてきました。今もそこから抜け出せていないと思います。