ルースが1918年に残した13勝&11本塁打での2桁勝利&2桁本塁打。
ただルースが本格的に二刀流でプレーしたのは、その年と翌19年の2シーズンだけ。
大谷翔平選手からのベーブルース、さらにニグロリーグとつながりで、
「42〜世界を変えた男〜」#
2013年制作のアメリカの映画です。
#「42〜世界を変えた男〜」
<アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソン#を描いた伝記映画。タイトルの「42」はロビンソンが付けていた背番号で、現在アメリカ・カナダの全ての野球チーム(メジャーはもとより、マイナーリーグ、独立リーグ、アマチュア野球に至るまで)で永久欠番となっている。
アメリカとカナダでは公開から3日で、2730万ドル(約27億円)を売り上げ初登場1位、野球映画史上最高のオープニング記録>
大リーグで初めての黒人選手で、1947年から10年間、当時のブルックリン・ドジャースでプレーし、白人以外の選手の大リーグへの道を切り開く。その功績でロビンソンの背番号「42」はすべての球団で永久欠番、大リーグにデビューした4月15日は「ジャッキー・ロビンソンデー」として毎年すべての選手や監督、コーチが「42」の背番号でプレーする。
アメリカでは3年前に「ブラック・ライブズ・マター」運動が高まりを見せ、ニューヨークでは去年、ジャッキー・ロビンソン博物館がオープン。NHK4/16>
以下、ニグロリーグ#の二刀流の3人を紹介。
ブレット・ローガン カンザスシティー・モナークスでエースで主砲、1922年に14勝&15本塁打。24年には18勝&打率・396。35歳で盗塁王(26盗塁)。
マーティン・ディーゴ 1935年の球宴にファン投票1位で選ばれ、「3番・中堅」で先発、延長11回に登板した。キューバ出身。捕手以外全ての守備位置をこなし「マエストロ」の異名を取った。
テッド・ラドクリフ ピッツバーグ・クロフォーズ。1932年、ダブルヘッダーで1試合目は捕手を務め、2試合目は完封を飾った。
二刀流選手が多かったのは、ニグロリーグの財政事情。複数ポジションをこなすのが当たり前だった。>
#ニグロリーグ <アフリカ系米国人を中心とした野球のリーグ戦。1920年から48年の間に7つの野球リーグが存在した。
1947年、黒人初の大リーガーとしてジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューし活躍すると、メジャー球団はニグロリーガーの引き抜きに走り、48年にニグロナショナルリーグが解散し、60年にニグロアメリカンリーグも消滅した。
大リーグ機構は、2020年12月、かつてのニグロリーグの選手と成績も、大リーグのものとして扱うことを発表した。(スポニチ2021/12/16参考>