fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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ネットの訴訟と罪名 偏向と信仰

ツイッターでは、文字数制限されているために短文が行きかいます。

それで誰もが気安く参加でき、普及しました。

そこは短絡的思考と結論だけが拡散する世界がつくられます。

チェックがなく一方的に偏向してしまうからです。だから

他人のことに関しない独り言やつぶやきなら

気楽に使えるメディアなのです。しかし、人が口にしたいのは、

自分のことよりも他人の事がほとんどなわけです。

 

ときに、正義の名のもとにレッテルを貼り、罵詈雑言の応酬が見られます。

正義をかざして、ちょっといい人に下克上気分のような人が多いのでしょうか。

そういうのを眺めていると、君子危うきに近寄らず、と言うよりも、

朱に交われば赤くなる、をさけるといった感じになります。

 

私は、そういったことで正義漢ぶったりストレスを発散したいとは思わないので、

SNSでの悪口を発信したことはありません。

と言うのは発散した分、戻ってくると、天に唾すると思うし、

思ったことを何でも口にすればいいというものではないのでしょう。

もちろん、こうして文章で表現する以上、誰かを傷つけたり、悪口だと思われたり、気分を害したりさせている可能性はあるでしょう。表現する以上は、諸刃の剣は覚悟せざるをえないわけです。

 

社会の正しさに合わせる人の、そうでない人への不寛容が高まっています。

他人の非を裁断して罰する風潮がはびこるようになりつつあります。

我慢やルールの押し付けを、上からでなく、横のつながりで、

ちょっと下になったつもりで、ちょっと上から行っているのです。

 

こういうネット社会は、やがて一貫した虚構の世界を築くでしょう。

ポピュリズムの行きつく先、カリスマへの信仰が増し、

その断言する力、1フレーズが、最大の影響をもたらしかねません。

 

そういった中で自殺した木村花さんの件で、2人が侮辱罪に問われました。

名誉棄損とは「社会的評価を低下させる表現行為」ですが、

肝心なのは、「その事実の有無に関わらず」ということです。

正しければ何を言ってもよいわけではないのです。

これは、「公然と事実を適示」した場合に適用されます。

評価のように、事実を適示していない場合が、侮辱罪です。

営業権侵害や業務妨害となることもあります。

「プライバシー侵害」や「肖像権」についても、

知っておきましょう。

 

法改正で公訴時効までの期間が1年から3年に延び、1年以下の懲役・禁錮か30万円以下の罰金を科すこともできるようになります。悪質な書き込みをある程度、抑止する効果にはなりそうです。
ネット空間は、自由に意見を発信できる場であることが望ましいわけです。警察が摘発する場合、表現の自由に配慮することとの兼ね合いになりますが、フェアに扱われることの難しさを感じます。