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よくあるサスペンスドラマのリベンジものでは、刑事が「殺された○○さんは、あなたが犯人を殺すことを望んでいたでしょうか」のせりふで、制止することがあります。
空爆やドローンがもっともよくないのは、人を殺すことは言うまでもありませんが、その痛みが当事者(加害者)に伝わりにくいからです。以前、ここで、ビンラディン殺害をTVモニターで皆とみているオバマに虫唾が走ったというようなことを表現は違うが、述べました。「殺されたら殺せ」の憎しみの連鎖は、21世紀にも続いているどころか、さらに危険度を増しています。
ユダヤ資本の世界制覇イスラム、あるいは中国との対立、そこには今の日本よりもインドに期待をするかもしれない私です。
映画「男たちの大和」は、戦艦大和の無謀な特攻を、多くの者が死に痛みを大きくすることで生き残ったものが新たに国をつくりのりこえるという考えとして、わかりやすく描いていたともいえます。
第三次世界大戦で世界が滅び、その痛みで生き残った少数の人が真の平和を享受する。たしかに第一次大戦も第二次大戦も、核も、そういう痛みをもたらし、平和を全世界が望んだ。でも憎しみをももたらし、未だ、争いは、消えていません。そこにもっとも学び、平和を実現したのは日本人でしょう。
「NARUTO」で私が読んだところまでは、憎しみの連鎖を痛みで世界を変える者と痛みを乗り越えた力でそれをなし遂げようとする者との戦いが、テーマです。愛することでそれを奪ったものを憎しみ、痛められたり痛めることでやさしさを知るという人間の業を描いているからです。
誰もが許せないはずのものを許してきたマンデラ氏ほかの偉人たちに共感する心をもちつつも、捕えもせず裁きもせず殺すという思考、儲けるために軍事費を使いたがる構造、この辺りのレベルで、21世紀になっても、まだ止められないのかと思うわけです。