fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「ISについて」 2015/02/08

 イスラムの問題に触れるのは、初めてかもしれませんが、まずは犠牲になった方々に哀悼の意を示したいと存じます。
 私としては、ずっと違和感が、「私はシャルリー」から「私はケンジ」まで、シンプルすぎる流れで伝えられてきたことのなかでぬぐえなかったのです。(ちなみに、シャルリーとは、フランスのレジスタンスの闘士、シャルル・ドゴール将軍を揶揄した命名だというからややこしい)
そもそも、大きく取りざたされてきた表現の自由の問題でも、自由であることと、その自由を使うこととは別のことです。そこでは良識に基づいたもの、自由なら他人の尊ぶものを冒涜したり貶めてよいものではない、ということを知った上で許される権利のはずです。しかも、権力に対してのものであり、ペンであれども使い方によっては邪剣になりかねないのです。となると、フランスとても、何とも単純かつ未だ他国への差別は相当なもの、ということを暴露したにすぎないわけです。欧米が優位になったのは、この500年間で、世界中の富と人民を搾取し、この100年、それが衰退してきたのに、未だアラブ、アフリカ、アジアへの差別、我々日本人に対しても、それは相当なものです。それだけ“遅れている”のに、日本の総理安倍は、そこにおいていかれまいとして“がんばって”いると思えます。フランス革命あたりで、“テロ”とは革命派を指していたのですから、歴史は、日本以外では“テロリスト”が塗りかえてきたともいえます。
 欧米以前の世界を牛耳っていたのはイスラムやモンゴルです。(円安もあって日本人の所得は、もう韓国の人と変わらなくなっているようです。時代は変わるのです)十字軍が、アラブやユダヤ人を虐殺した歴史的事実は、今では明らかです。ユダヤ人は欧米の支援の下、多くの敵対国の人民をどうしてきたか、暴力、武力を頭から毛嫌いし反対するなら、これからの有志連合にもそう処するべきでしょう。それが報復という理由であるというなら、向うにも理があることになるでしょう。狂信的というなら、彼らがどういう理由でどう信じて戦うことになったのかを掘り下げるべきです。
 こういう発言は、今の日本では、相手を利するとか、反愛国的と一顧だにされず、無視されるか糾弾されるのでしょう。しかし、歴史は、白黒、敵味方、二極に分けられたときに起きる悲劇を繰り返し、そこで勝者が書き換えてきました、にも関わらず、慈愛、寛容、許すことを選び、情をもて、実行した人を伝えてきました、一国のなかの英雄というよりも人類のなかの偉人として。
 欧米社会の外に置かれた日本が、その十字軍に加わるのかと、改めてISから突き付けられたものであり、それは、突きつけられる、ずっと前から日本人自ら考えて対処していくべき問題であったはずです。安倍総理の中東訪問や支援を否定するわけではありませんが、真っ直ぐ正直に欧米に乗り遅れまいとするのでなく、もう少し、訪れる国の選択や、支援理由の発言のロジック組み立て、そして何よりも、自立した国と言われるように日本の立ち位置をアピールし、また戦術謀略よりも深いところで国際戦略を操れないものか、そういうことのできる国への準備をしていけないものかと、残念な限りであるわけです。