fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「もてるものともたざるもの」 2015/03/03

どこもかしこもピケティで、私はベストセラーは、いつも廃れた頃に読むので、それについて述べる資格もないが、勲章を受けた桑田圭祐さんの紅白のことなどがあって、勲章を拒んだ43歳のトマ・ピケティさんについては、これから学びたいと思っているのです。あんな高い本がこんなに売れるのは、売れた本だからといって、ハリポタにはかなわないだろうし、「アナ雪」にも…など、改めて文化はすごいと。
 キャピタリズムへの反感、格差問題、特にトリプルダウンセオリーのアベノミクスに対して、格差なくせというピケティ(以下敬称略)の構図でもちあげられています。私も、貧しい人にお金を回したら皆が豊かになれるのではないから、豊かな人を豊かにすることで全体を上げていくことを否定してはこなかったのです。
 どうもピケティは、それは歴史上違っていると、たくさんのデータで証明しているらしい。となるとビックデータや足で集めたデータとかいう情報の使い方、皆が知っていることを改めて、理論というよりも、現実を把握し直したくらいのものに思えるのですが。

 日本人の労働人口6千万人のうち、1千万人くらいがプアで、年収200万円以下というのを、どうみるかというと、世界でみたら超リッチです。一方で、トヨタなどはベトナムGDPより売上げているわけです。中国人が爆買いといっても、このシーズンの、家電とか観光で何兆円レベルの話でもないわけです。そんなことも、陸は、シルクロードにアフリカから南米、海は太平洋からすべて、国として膨張させようというような国家戦略の先駆け(ことばは悪いのですが…)ではと思えなくもありません。
 金を使うのが目立つのは、大したことではなく、本当の金持ちは、欧米でも日本でも、目立たないように最高のものを味わっています。本当に儲けている人は表に出ず、そういういう商売ややり方も隠しているので、せいぜいアメ横のにぎわいかと思うくらいです。
 どちらにしろ、トヨタの社長の年俸などをみても、日本人は、質素が美徳であったわけで、“やむなく世界へ引き出された”第二次世界大戦(こういう言い方は、今や許されるのでしょうか)で反省して以来、ビジネスでさえ、さらに世界に貢献しているのです。働いて稼いできた日本人は、豊かになっても、その生き方しか見いだせず、金をうまく使えず、寄付したり、取られたりして貧しくなって、ピケティに「格差解消を」と言われて喜んでいるのかもしれません。

 中国の世界戦略は、これまで触れてきましたが、よくよく考えると、国が成立してきたプロセスを、世界規模でみているわけで、大英帝国アメリカもそうしてきたので(日本は、さすがにアジア、太平洋どまりでなかったのでしょうか?)イスラムでもオスマントルコの後、あらゆる地を西欧に奪われて、モスクさえキリスト教会にされて、ISがそれを取り戻すといえば、こういった大国の世界戦略よりも小さなものです。
 日本のようにアメリカの側からしかみないし、人質救出もままならずでも、「仕方ない」ですまされ、それどころか政権の支持率が上がるとは?
 これ以上はまとまっていない頭で大して知りもしないことを述べるのはやめ、本題に入ります。
 
 要は、日本でも、もてるもの、親の財産を受け継ぎ、守れば生きていけると、別に金持ちでなくても今や「質素でよい」という、「分相応にぜいたくをせず暮らせばよい」というのが、若い人に広まって、清貧を地でいくような風潮に対して、私とすると、これでいいのかと思うわけです。金持ちは、当然、保守的なものですが、プアや若い人の方もまた、攻めでなく守る方へ回ったのでしょうか。
 国土を蹂躙されたことのない日本は、守ることをよく知らないのではないかと思うのです。銃を捨てたら平和がくると洗脳されてしまった人も多い中で、世界が同時に武器を捨てたら平和になるのか?などということさえ、考えもせずに、疑いもせずにいます。戦中の鬼畜英米が、戦後チョコとガムと自由をくれたという、たった一度の敗戦の万歳体験(今も「終戦」というが)は、日本人を根底からひっくり返したのですね。(若い人に、戦争になれば格差が解消するなどと言う人も出ているようですが)
 それでも、そのプロセスを知っていた人は、わかっていてみてみぬふりをしていた。そうしたら、若い人はわからなくなった。それどころか、わかるべきことがあることがわからなくなった。これは先に述べた、表にでないところに真実が隠れているということ、ですが。

 格差をなくすとは、世界中の人が平等に、というなら日本人も年収が今の何分の1の生活をする。世界全体で人類皆兄弟で平等というなら、物価は統一へ向かうのです。グローバル化、情報化がそれに拍車をかけています。情報化こそが格差を広げるどころか独裁者をつくりかねないのです。
 私たち日本人は、貧しいとはいえ飢えることのない立場でグローバルなるものを、もうずっと上からみているわけです。仕事も食べる金もないとなったら、といったら極端論ですが、世界では珍しいことではない。仮に、稼ぎは5分の1となったら耐えられますか。
 巻き上げられる以上に働いて豊かになってきた日本人は立派ですが、働いて豊かになれないなら、貧富の対立で、日本人のほとんどは皆、貧しい方へ行くとしたらどうなるでしょう。(ギリシャは富裕層が資本を国外へ持ち出していますね)
 
 若いときから自分を守ることしかしなくなった日本人は、今が何で支えられているのかを感じなくなっています。日本人であるために享受できる生活、地位など。(普通ならそういう民族は滅んでいったので)日本は、島国であるという立地のおかげで国を守ることが必要とされず、守りを前もって考えられないようになってしまいました。これで“そのとき”をうまく生き延びることができるでしょうか。
 体力をつけ、精神力をつけ、考える力をつけ、世界全体と未来を見据え、がんばって欲しいものです。(そういう人が昭和も半ばまでたくさんいたからこそ、今があったわけです)というか、がんばりましょう。がんばろうではありませんか。
 日本にも、世界戦略を練れる企業があることが、まだ救いだと思っています。世界の国々はしたたかです。日本も、昔はそうでしたが、今は大呆けです。でも、日本人はやさしく親切です。日本ブームがさらに増すのは確かでしょう。
 大きな転換期です。特に、この2015年、どうなりますやら。
 “そのとき”がこないで、世界中が“日本のように平和になる”のが理想とも思いつつ、それはきっとありえないし、そうでないからこそ世界なのですから、少なくとも、国も個人もしたたかに自立していく戦略をもって生きることだと思うのです。