スティーブジョブズが逝去。もう17年も前になるが、かつて私の発表した文章を追悼の意を表して転載したい。
「プロローグ マルチメディアは、ロックから始まった」
1960年代、日本は大量生産消費、マスカルチャーのアメリカに追いつこうとまねしていた。アメリカの強味は、当時からコンピュータを使った情報システムであり、冷戦構造下で、宇宙開発、軍事関係に使われていた。月に行ったり、国を防空システムで守れるという強力な力は、確かに世界を支配していた。
しかし、その一方で、現実はベトナム戦争などやコンピュータ管理によるプライバシーの侵略への恐れをTV世代の若者はつきつけられた。徴兵拒否や学生運動のなかで彼らは、システムより人間性の回復をめざし、それを主張するには、能力とともにツールが必要だと感じた。そのツールとしてエレキギターとともにパーソナルコンピュータが生まれた。
ロックは、音(声)とエレキ、さらにバンドというビジュアルな形態で、マルチメディアの要素をもつ。それとともにギターをもてば、世界中に声を届けられるという点で、道具とネットワークを意識したのである(しかし、これも成功したために、皮肉にも権力としてのマスメディアをつくり出し、そこにとり入れられてしまった)。
(94年8月、25年ぶりに「ウッドストック94」が開催されたが、これは1969年8月、50万人を集めたウッドストックの帰結点である)。当時のフリーセックスとドラッグは、コンピュータ上での恍惚に変わろうとしている。
そもそも、マルチメディアは、年代のサイケデリックイベント、大学でのロックンロールとスライドショーを一体にしたものを指すことばだったといわれる。カリフォルニアは、当時も今もマルチメディアの中心なのである。パソコンは、カウンターカルチャーに共鳴した二人の若者が生み出した。ちなみにカウントカルチャーとは、管理社会に対する若者の反逆から生まれた文化を指す。当時のフリーセックスとドラッグは、コンピュータ上での恍惚に変わろうとしている。
アーティストが、作品をデリバリーするシステムとして使ったのがマルチメディアである。そう考えるならば、パソコンが生まれて、それが他のメディア(AVやビデオ)と融合して、マルチメディアとなったから、そこにソフトや情報を入れるというのは、あまりにも日本らしい考え方である。ビデオやカメラ、MDはつくれても、世界に出せるソフトを全くつくれないという日本らしさに通じる。
ナチスのメディア技術、ジョージ・オーウェルの「1984」の世界への対抗、それは、アップルのデビューCFが「…あなたは1984年がどうしてあの1984年でないのか知るでしょう」、あるいは、1984年東海岸のメディアラボ(マサチューサッツ工科大学)に対抗して、サンフランシスコの研究所をマルチメディアラボと名づけて、マルチメディアの考え方とコンピュータを結びつけたことからわかる。
インタラクティブということばも、学生運動の団交の討議形式、パネルディスカッション形式のシンポジウムなどにおいて使われていた。とういういきさつは、日本ではごく一部にしか紹介されていないが、原点から捉えることは、重要である。
組織やシステムに任せると破滅する、これは、今、日本の中高年、これからの若い人には切実な問題となりつつある。それに対して、自分の能力を高め、世界とネットワークせよというツールがパソコンである。自分の力をつけるしかない、そのツールがマルチメディアである。
PS.
こうしてみると、マルチメディア社会の様相や環境を述べるのに、私のようにフリーな環境で多くのアーティストと仕事をやり、多くのアーティストをネットワークしているところから、得られた視点は、どうやら私自身が思っているより、価値があるらしいことがわかってきた。
マルチメディア社会を捉えるだけでなくそこで現実に生きていくために、考えなくてはならない問題を数多く提起しているつもりである。その答えを見つけていくことこそ、マルチメディア社会をうまく生きていくための唯一の方法である。
PS.2
企業間や部門間での情報処理のためにと考えたとき、手帳の代わりになったのが、マックである。マックのネットワークが手帳では超えられないこの大きな壁を超えた。話すのに使われた電話回線を文字を送るネットワークとして使ったのである。なぜマックでなくてはいけないかというと、これもやはり、オフィシャルとパーソナルの間にあるからである。そして、マルチメディア社会というマックを超えて、大きく進行している世の中の流れの一端をかいまみた。
マルチメディア社会になると、組織が変わる。それは、個人の意識が変わるからである。それが今の組織に最も大切な変革であり、情報技術そのものだと感じた。マルチメディア関連の分野から、多くの視点でこれからの世の中の問題を読みとってみた。
(1995年1月<PHP研究所刊>で発表)
~果して私たちは、この17年でクリエイティブになりえたでしょうかね。