fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「日輪の遺産」 2012/05/03

宝物は鬼にならないと守れないとー。

似たような映画でいうと「男たちの大和」から一連のもの、また、NHKが特集し続けている原発のことですが、若い人には、この映画を見て欲しいと思います。

 

3.11で寡黙を強いられ、何を言っても甲斐のないような一年が過ぎ、一時は減ったうつや自殺がまたいつものように、政治家も、また、いつものように、パズルのワクぐみがはずれていることに一時、気づいたはずなのに、また同じ轍をふもうとしているのです。

 

いつのまにか、若い人と、いってしまうような、若い人と話すと、といってしまうようにもなりましたが、戦後、なぜ私たちが奇跡の復興した日本をだめにしていってしまったのかを、知ってください。

 

これは戦前に戦争へ向かわせていた人よりも日本の場合は、ひどいことをしてしまったのかをきちんと見て、早く、動いて力をつけ、動いて欲しいのです。それとともに私たちも団塊の世代も改めなくてはいけないのです。改められなければもう日本を去るべきでしょう。

なのに、ますます、改めようとする人たちこそが、また同じことをしているという構図を見抜いて欲しいのです。

若い人を叱る人は少なくなり、若い人に気をつかい、ほめてあげる人が多くなりました。私はゆとり教育をはじめ、日本の教育改革、およびあらゆる改革が、裏目に出ていくのを批判してきました。ただ、自立ということが大切なのに、日本人として自立ができないジレンマの理を、ここ3年ほど述べてきました。

 

学生の頃から、憲法改正も反対、「アメリカのメカケ」(当時のことばです)として、戦いは見も知らぬ他人に任せ、安全なところで正論(世の中への逆説)を吐いて生きてきました。保守というよりも、生まれながらに、いや日本の国民として享受してきたものの権利や自由を使ってきました。

別に自己を総括しているわけではありません。私とて、豊かな家柄や財があったわけではなく、ゼロから自らのリスクで何事も立ちあげてきたのですから、普通の会社員や公務員より自立はしていたつもりです。ただ、それでさえ、誰かに守ってもらって誰かのつくってきた日本の繁栄にのっかってきたら先祖や両親の、世界でも働きに働いてきたストックのおかげだったわけです。

 

そして、私たちが大人として第一線に出てからが失われた20年といわれていますが、まだまだ日本は閉ざされてもいたし、インターネットも黒船か大航海時代かわかりませんがグローバル化では、働いたら、格差がでるのがあたりまえ、それをなくしたら、日本人も時給200円くらいにならないとおかしい、みたいなことを言っているうちに、現実味をおびてきました。人口が減り、一人あたりの働きもへって国力がおちていく。高齢化とか、福祉の問題でなく、単純に堕ちていく順に日本がきた。

誰かに頼るのでなく自分の力で生きていくという根本的な意志が失われてきているとすると、人生は、つらいものとなります。

 

私は、こういう日本でつくられる映画などで描かれる敵味方のヒューマンな関係が、現実離れしていることは感じています。日本人は、南京で虐殺したとかどうこういうのも、同じ日本人の部下や第三者にもかなりひどいことをしていたのです。こういうのはついこの間までの相撲部屋、体育会系クラブにも残っていました。戦後の日本の会社の躍進は、武士一軍隊の規律だったからです。

それを私たちは、団塊の世代(欧米のヒッピーと時期を同じくする)のはじけぶりに便乗して、サークル化してしまったのです。

日本のお上が庶民や地方の民など、同じ人間扱いしていないのは、今も同じです。私たちも東北や沖縄を犠牲にしている、世界の貧しい国を搾取しているのは、今さらいうまでもありません。

ロシアに蹂躙されたベルリンのようなことは、満州や沖縄で起こりました。しかし、本土ではアメリカが戦後としては新しい対立構図のため、それまでに比べたら、ですが暴力的に侵略せず、すっかり日本人はアメリカ大好きになってしまいました。そのあたりでの、アイディンティティの喪失が、私たちの親の世代で、戦前までの信じるものを失ったわけです。

 

こんな話をしていてはキリがありませんが、要するに、ここの標語Be Artist-自立して、表現していくということも同じことなのです。欧米やお上にほめられても賞を授与されても返上したというような人は、昭和の頃にはまだいました。戦前の教育、価値観のある人には、気概や自分というものがありました。

それが今や無難に嫌われないようにと、誰もが動きます。そこで本質、もっと先をもっと遠くを(時間的にも空間的にも)みて、今をがまんする、がんばることがなくなってきています。

 

今、起きているすべてのことは、過去の結果でこれから起きるすべてのことは今の結果ということ、他人のために自分ががまんする、がんばることも、できなくなってきています。もちろん、若い人は形だけといっても、形からでよいのです。先のみえた社会などありません。誰しも、最初から本質などはみえません。しかし、まわりにばかり、左右されなければそれを予感していくことは可能になってきます。

 

判断の難しい時代だと思います。私も、たとえば、石原、橋本、小沢氏などの言動、評論家や識者の論に、その通りと思ったり、でもおかしいと思ったりします。今となると、すべての見解に一致する人は一人もいないし、それでこそ、あたりまえと思います。それよりも、アーティストでさえ、政治に関する発言を一切、しないような、業界の慣習の方がおかしい。タレントならともかくマスメディアに関わる人やジャーナリストも、キャスターもおかしい。政治家はもちろん、警察も裁判所もおかしい。何がどうおかしいのかまで述べないとしかたありませんが。

 

1. 原発 と原爆 と軍備 とエネルギー

2. 環境 と教育、家庭

3. 憲法、法律と選挙(選挙区)

4. 明治維新から第二次世界大戦)歴史 、文化、社会、政治、

労働などについて、私は学び直しています。

まずは、自らの体力づくりにはげみ、歴史、古典、文化を学び、自分の思想(考え)を表現してみてください。一人ひとりが変わることによって、変わることができる、それがいつの時代もどんなところでも人間の希望なのです。