fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

歴史から学ぶこと 衰退した中間層

何かを見たり知ったりしたら、自分がそこにいたら

どうしたのかを考えましょう。

テレビや映画でもいいでしょう。

ここではなく、そこにいたら、

今ではなく、そのときに生きていたら、

自分ならどうしたのか、です。

 

今から考えてみると、1980年代は、

自由と民主主義、報道の自由と知る権利が整いつつありました。

権力をチェックする小うるさい中流層の存在があったからです。

リッチでなくとも貧しくない多数の中間層の力が、

社会の安定には欠かせません。

社会の動きに関心を持ち、働きかける力を持つからです。

それは、独裁やそのための隠蔽を防ぐ力となります。

 

なによりも、事実を知ることが、重要です。

その上で、法を超える正義があるという感覚が必要です。

 

当時から比べると、中流層が貧しくなり、

国際的にも上位にいられなくなった日本、

事実より空気に流される人が増えて、

今の日本は、かなり危険な状態にあるように思えます。

 

そこで、考えましょう、ということなのです。

科学技術での距離

1816年、聴診器が発明されると、そこからほんの少し、医者と患者間に距離ができたといえます。聴診器分の隔たりができたのです。それでも、医者は、必ず手で触診していたでしょう。レントゲンのX線では、さらに離れます。ドアを締め、出ていきます。放射能を治療者が浴びてはならないからです。

遠隔治療ともなると、接触そのものがなくなります。イメージでの共有、動画レベルでの診断です。遠隔で患者に気を送って、治す気功師のようなことが当たり前になってきたのです。

そうなると、面していないために出てくる不安や不信へのケアも必要でしょう。テクノロジーと五感の関係は、科学と医療の問題として、便利になりつつ、問題もまた潜在していくのでしょう。

まったく関係ないのですが、昔、次のような秀作コピーがありました。

ー愛し合っているなら、0.03ミリ離れなさいー、

岡本理研ゴム、スキンの宣伝です。これも科学技術か。

省エネの日本の庶民文化

江戸の頃、鳴き合わせと言って、うぐいすの鳴き声のコンテストがありました。付け子といって、ひな鳥に先生となる成鳥をつけて習わせます。このように、品種改良を娯楽や鑑賞のために行うようなことは、世界でもあまり例をみないようです。

ほかにも、オナガドリの尾羽を長くしていき、さらに長鳴き鶏、唐丸、声良し、東天紅など、基準をもって、それに適するように養成していくのです。

とても高尚でエコな趣味、いや、文化ですね。

庭造りも、なかなかの凝りようで、

庶民も路地に縁台を出し、植木を眺めつつ、花鳥風月や将棋など楽しみました。

その精神的風土は今も、全国各地に継承されています。

風鈴、鹿威しや水琴窟なども、日本の音の楽しみもまた、排水利用の省エネです。

日本人の向上心と美点

日本人は、第二次大戦後だけでなく、江戸時代など、世界でも稀に見るほど長く戦争を避けてきた時期がたびたびありました。平安、室町、江戸、大正と、木村尚三郎氏が、女時と言った、平和な時期が、戦乱の男時と交互に来たわけです。

日本の場合、庶民もまた、文化の担い手でした。そのせいもあってか、あまり物欲で贅を尽くすようにはならず、物質的なものに走りませんでした。たびたび、倹約令も出されました。

外でなく内に向かっているところでの精神的な満足があり、それを大切にしました。

他人に対する競争心や敵愾心でなく、占有欲や所有欲でなく、向上心に集約していったわけです。それは、まさしく日本人の美点なのでしょう。

芸術の秋 内橋克人氏とさいとうたかを氏逝去

芸術の秋となりました。コロナは、枯葉のように消えずに、
昨年は冬を超えました。今年はどうなるのでしょう。
 
内橋氏の著作では「尊敬おく能わざる企業」が印象に残っています。その後、グローバル化の進む日本で、一貫して新自由主義を批判、私にローカルのコミュニティでの共生に目を向けることを教えてくれました。その正しさは、このコロナ禍でも実証されました。私たちは、マスクからワクチンまで国外に頼らないと入手できないような国にしてしまっていたわけです。
 
ゴルゴ13は、飛行機での時間を潰すのに、とても助けていただきました。海外も遠方となると、アメリカなどで乗り換えて2日がかりです。12時間以上の飛行時間となると、6時間寝ても、まだ6時間、あります。30代の頃までは、今ではよくぞと思うほど、原稿を書いたり直したり、文庫本や新書を読みまくったりしていたのですが。あるときから、眠るようになり、起きても、そのようなことができなくなりました。閉所高所拘束下で、持て余す時間に心身ともに苛まれ始めたのです。結局、文庫になったゴルゴ13が、もっとも役に立ちました。
お二人に御礼申し上げます。ご冥福を。
 
芸術の秋、横尾忠則展、曽我蕭白からのコンセプトを得た絵など、狂気めいているところに惹かれました。天井桟敷唐十郎などのポスターも懐かしかったです。
天王洲アイルの方のチームラボ、バンクシー展と、全開。
 
 

















大きな宗教の時代へ

大雑把な捉え方ですが、

かつての宗教の時代は、科学や技術にとって代わられ、

経済の時代となりました。

そして、芸術や哲学、つまり、文化の時代となり、

次にまた、宗教の時代に、なりそうに思います。

 

これは以前、「21世紀は、宗教の時代」

と言われたのとは、全く違う意味で

(その頃は、冷戦が終結し、

キリスト教に対してのイスラム教をはじめ、

他の宗教との競合のようなことでした。)

大きな宗教で動いていくように思います。

 

既存の宗教は、もう全て廃れていく、

あるいは違う形になっていくでしょう。

人口でみる人類の繁栄

人類は、紀元0年くらいに2億人、18世紀から増大し、20世紀後半から現在にかけて30億人から77億人に急増しました。

国連の2019年版データブックレットの予測では2050年に97億人、2100年210億人で頭打ちです。

出生児平均寿命は、1990年64.2歳から2019年には72.6歳へ延び、2050年に77.1歳に延びるそうです。

 

日本人は、1967年に1億人を超え2008年1億2808万人ピークです。2048年に1億人を割り込み、2060年には8674万人と見込まれています。

日本人の平均寿命は、今年の最新データでは、男性が81.64歳、女性が87.74歳で、過去最長です。女性は香港に次いで2位、男性は香港、スイスに次いで3位です。コロナ禍とはいえ、インフルエンザで亡くなる人が少なかったために、伸びとなりました。

 

野生の大型動物は、一種類につき百万頭以上が減少していますが、人に役立つ家畜は、50億頭近くに増加しました。

つまり、地球は、この2千年ほどは、人間の王国なのです。