fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

秘儀と制限

身体性に惹かれていくのは、しぜんなことであり、ときに魅力的かつ快感を伴うものです。

ハタ・ヨーガはまだしも、クンダリニ・ヨーガやラージャ・ヨーガは、チベット密教やインド密教へつながっていきます。その点では、大いに注意することで、密教などと同じです。密というのは、秘密でもあり、奥深く底のないことなのです。そうした修行は芸事などと同じものを宿しているといえます。快と苦、の世界ゆえに、です。

つまるところ、秘儀であり秘技なのです。誰もに簡単に教えてはよくないこととされているのは、そのためです。

 

強く自分を律することができないと、ハマったままに抜けられなくなる、社会的に立ち戻れなくなる人もいます。それは、ドラッグなどへの依存と同じです。脳の中も似た状態になるのですから、当然です。それゆえ、禁じられていることが多いのです。

 

わかりにくければ、大分、安易な例になりますが、年齢による視聴制限などを考えてください。。映画では、レイティングでのR-18、R-15、PG-12、Restricted、Parental Guidanceですね。人によっては、10代以前には、場面によって想定外の影響を被ることがあるからです。身体の発達段階に応じても、野球の変化球、最近は、サッカーヘディングなども危険視され、年齢制限されています。柔道、剣道ほか、格闘技にも多いです。

何でも、自由であればよい、手を出してよいというのでは、ないのです。

 

自分探しの場とスピリチュアル

自分探しなどでスピリチュアルな分野に関心を持つことは悪いことではないのですが、ハマるだけでなく変性意識にまで入ってしまう人もいます。霊媒体質で被暗示性が高い人に多いです。

NLPシャーマニズム関係など、私のまわりにも、そういう人が多かった時期がありました。それ自体は悪いものではありません。それで人生が好転したと信じている人もいますし、それでよいと思うからです。ただ、自らが他人に働きかけるとなると、慎重を期さねばならないでしょう。

ややもすると、迷信や差別に結びついていることもあります。たとえば、輪廻転生と守護霊とは、矛盾するものではないでしょうか。

 

見極めとして、外に言っていることと内で行っていることをよく比べてみるとよいでしょう。不一致のことがほとんどなら、安易に信用しないほうがよいでしょう。

本当のところ、なりたい自分を強く求めるほど、本質から遠ざかるものです。

もう一つ、私は、そこの第一人者でなく、ナンバー2、3の人や、幹部などを見ます。長年いる人や年配の人がいるのか、何年いるのか、そして、その人たちがどんな人か。真面目なだけでなく、ユーモアに富んで、世の中のことをよく学んでいて、自由に発言したり、トップへの批判などを気軽にしているのかなどです。解釈をそれぞれが主体的に行っているなら、よい組織でしょう。これは、会社やコミュニティなどにも通じることでしょう。

絶対的なカリスマ教祖には惹かれることは誰しもあるでしょう。それをダメとは言いませんが、一時でなく長期に見ていくことです。イエスマンしか周りにおかない、あるいは残らないような組織は、発展が期待できません。私たちは未来に生きるのです。

 

まわりにどのような人がいるのかが、自分もまわりにいたいと思うなら、見極めるポイントです。暗く後ろめたそうな雰囲気があるのは言うまでもなく、ただ、演出されたように明るく前向きすぎ、エネルギー全開なのも怪しいのです。

そういうところには直感が鈍っているときに、近づいてしまうものです。それが、よくないのです。外に開かれていて、空気の流れのよいことが、望まれます。

スピリチュアリズムとカルト化

魂が生まれ変わり、そのたびにレベルが上がっていくと考える人たちがいます。

宇宙霊、UFOなど、わからないことについては、否定しません。

だからといって肯定したらよいとは思いませんし、肯定はしません。

でも、絶対に起きないことさえ、絶対にないとは言えないから、起きるかもしれないと言ってしまう人もいるのです。

 カルトは、そうして、オカルトなどに免疫のない人、若者などにはびこるのです。

それは、霊魂の不滅や生まれ変わり、魂の階層をもつような宗教です。

スティーブン・キング「ミスト」に出てくる、皆を煽る狂信者のおばさんを思い出します。

自分が努力して高まるように思うのなら、それぞれ自由に感じたらよいと思います。それでモチベーションとなるのもよいでしょう。

しかし、それを人より高い次元に達した、などと考え、人にそれを説き出したら、要注意なのです。

日本人らしさと日本らしいもの

富士山は、世界文化遺産として登録されました。自然の山を対象とした自然遺産の登録ではなく、日本人の文化としての関わりで認められたわけです。

日本人の、ときに国際的に非難される、あいまいなままにものごとを進めていく、白黒つけない、それは、みえないものを感じて、そこに意味や価値を見い出すことなどとも関係しているのでしょう。

にこやかに謝る、直接的に言わない、先を見通さず「とりあえず」で始める、時間の始まりに厳しく、終わりに甘い、など。相手を責めず、自分の落ち度とする、すいませんと、自分に使うようなことも、日本人らしいものです。

いったい、日本らしさとは、なんでしょう。

キーワードとして、思いつくままに、、。

四季、自然、花、園芸、田畑、水、木、紙、銭湯、畳、狭さ、礼儀、あいさつ、安全、謙譲、清潔好き、おもちゃ、庶民、笑い上戸、陽気、遊び、清流、温泉、弁当など、、。

 

孤立と身体性と教育

孤立とは、見捨てられ感なのです。

それは、身体性の欠如によって、もたらされています。

肌感覚での、人とのつながり、絆と癒しが必要です。

それは、寛容さ、親切など、人とのスキンシップからでしょう。

 

現代の教育は、触れる世界から、みる世界に変えることといえます。

他の人に共感して同調しているような子どもに、

頭だけでわかるようにさせていくのです。

それは、ある面では、高次にすることです。頭がよくなり、早く情報処理ができるように

なることです。そして、既存の知識から答えを検索して早く出せるようにするのです。

そのために言語を基に区別していくのです。触らないとわからないところから、触らなくてもみてわかるようにしていくのです。

 

それに対して、社会やコミュニティは、そうした言語での区別を取り去り、

共感、同調を求めています。

わかっているつもりのものをもう一度、見直したり、見てわかったつもりのものを、触って確かめたりしていくのです。つまり、低次とは言いませんが、広げていくのです。頭から全身に、他のものにも、です。

だから時間がかかります。みる世界から感じる世界に戻していくともいえます。身体性を取り戻すのです。頭のことばを切り、心身の声を聞き、伝え合うのです。

 

関心と存在、棒高跳び、ポール・ジャクレー

ポール・ジャクレーの版画を見てきました。

フランス人の浮世絵師の木版画です。最多のは、100刷、とは、木版を100枚作り、色を重ねていくのです。共同作業とはいえ、そこまでの執着と実行力は、見事な作品となって、時代や国を越えるのですね。近くの堀辰雄文学記念館再訪。落ち着くところです。

 

 

世界は、関心を払うこと、存在を認めることで成り立ちます。

いてもいなくともよいとしても、

見捨てられているとまでは、

思わないこと、思わせないことが

とても大切です。

 

たとえば、太古の、あるとき、私たちは、大地に、

棒を使って、高い壁や川を乗り越えたことがあったのでしょう。

そういうことで、棒高跳びが、競われるようになったのでしょう。

毎日、それを練習している無名の選手が、世界中にたくさんいます。

関心をもち、極めようとする人がいるから、オリンピックから、

その競技はなくなりません。

平地に、少しでもバーを高くして、競うのは、

自分の前に、壁をつくり、乗り越えるチャレンジをするのですね。

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総裁選、小泉元総理、原発、ワクチン

4人の候補者
が政局を争っています。考えてみれば、安倍、麻生、二階氏の弟子みたいなもので、大して自民党は変われないように思われます。
選挙で勝てないとなったときに、継承者と変人を出して、どちらが勝とうと政権を維持させるのが、手法です。危機になるほど党内が謀略で一致する、これまで何度も見てきたやり方です。そして、これまでの考え方を曲げても政権にしがみつく、それだけ政権を失いたくない利益があるのと、そのことだけで妥協できる人たちが集まっているのでしょう。
読みが甘く、野党に政権を奪われたことで、しがみつくようになった。例えば、宮沢や小渕、小泉をトップにして、党内を刷新する演出をして、目先を逸らし延命してきたのです。それからみると、今回のこの政局は、さして新しさも面白さもありません。野党が不甲斐ない安全牌だからです。自民党一党独裁で、日本は世界の動勢にどんどん遅れていくでしょう。
 
でも担ぎ出したほうがよかったのでしょうが、彼は困ったことに、党と利害を一致させられない大変人です。
先日、元小泉首相が、話していたのですが、原発事故の時、危険地帯である250キロメートル内には5千万人がいたと。で、あの事故がなければ日本は、原発100基体制に進んでいたと。それを監督すべき人たちは、電力会社に取り入り、安全でなく利益を優先していたと。
今まで繰り返したように、日本人にとっての第三者委員会や監督すべき機関は、そこの権益に近い人が選ばれるため、何の役割を果たせないどころか却って損なっていることの典型例です。
1985年、リサイクル活用を期待された、もんじゅは10年後に完成したのですが、1兆1000億円かかって、役立たぬどころか、今や廃棄するにもできず、1日5千万円が浪費されているそうです。オンカロ=処分場どころか国税廃棄場なのです。でも誰も責任とらない。
また、こういうエピソードも披露されていました。猪瀬氏の本で、日本は開戦前、2016年夏にアメリカとの戦争シミュレーションをして負ける予測結果が出ていたのに、机上の空論だと一蹴され、戦争に突入したということです。
確かに、アメリカは、対戦中から日本が負けた後にどのように統治するかを考えており、そのおかげで、日本は、敵国アメリカを味方にして急速な戦後復興を遂げたのです。これが貧しい共産主義国などに占領されていたら、すべての生産技術から労働力まで持っていかれたことでしょう。そういう意味では日本の戦後補償も、安く済んだと思えなくはないかもしれません。
 
その後の冷戦構造が、日本に奇跡的な恩恵となったのですが、おかげで日本人は、平和ボケしてしまいました。戦前の精神が残っていた頃に、心身の全力をかけて高度成長という復興を成し遂げたのですが、中途半端に権利だけを求めるようにアメリカナイズされて、衰退しつつあります。
とはいえ、アメリカが、アメリカ合衆国でできなかったこと、平和でのんびりしたパラダイスを作り上げたといえなくはありません。日本ランドです。
 
自民党の政策
でまた再開を持ち出している候補もいますが、GOTOキャンペーンもふるさと納税も、もっとも貧しく日々の生活に困っている人には一円もいかない案件でしょう。そういう人はいないことになっているのでしょう。
知り合いが、数十万円から3桁ほどの儲けを出していました。太陽光発電もです。
いつも大きな会社や富裕層がもっとも得をする制度になるのです。コロナ禍の補助金も、現場で苦労している人より何もしてない病院、医者に手厚くと、相変わらず、格差拡大のバラマキしかしてないのです。
 
法改正の整備
の遅れを見ても、昭和以前の考え方が根強く継承されているのがわかります。日本というローカルのよさを守るのも大切で、全てにグローバル化していくことがよいことだとは思いません。
それでも人権問題として考えたとき、タリバンを思い出すほど、ずれていましょう。
40代以下の若い人たちの感覚の方が、多分、正しいし、少なくとも世界はそちらの方向に動いていくのですから、自民党抵抗勢力です。
その抵抗勢力に対して、小泉元首相のようにグローバルな改革を一気にやってしまったこと、がよかったのかとなると、複雑な問題をはらんでいます。
若い人がそういった複雑な状況を学んで、より良い方向を選べるようになってもらえばよいとは思います。そのためには、海外に行き、大きく世界を見つつ、日本の文化などを深く学んでいくことだと思います。
 
ワクチンの接種率
が、アメリカを超えたと、喜んでいる日本ですが、アメリカが先駆けた後、低迷しているのは、打たない人、迷っている人、反対する人、デモする人などが多様にいるからです。
日本は、コロナの被害がそこまで急でなかったために、恐々と世界のワクチンの効果状況を見ていましたが、ある時から、安全そう、、となったら一気に、毎日百万人で、突破したわけです。しかし、ワクチンの害も徐々に指摘されるようになっています、副作用でなく副反応といいます。全員が一気に同じことをしてしまうような行動は、非常に危ないのです。
国全体のマネジメントを考えたときに、少なくとも他の国ほど被害が多くない日本では、より慎重により時間をかけてよりじっくりと取り組んでいけばよいことでしょう。日本製のワクチンの開発を待つ手もあります。
事態が深刻だと言う人もいますが、コロナについては、欧米の人たちと日本人は違うところも踏まえなくてはいけません。わずか1、2年のデータを鵜呑みにしてはならないのです。