fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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2つの東京オリンピックでのTVの価格と給料

1964年の東京オリンピック当時、カラーテレビは1インチ2万円、14インチで28万円でした。サラリーマンの初任給は2万円でした。

初任給は、その後、大卒では、1970年4万円、1977年10万円、1993年19万円以降は、2008年20万円で、ほぼ頭打ちです。

今、28万円出せば、75インチの液晶テレビが購入できます。10年前は、1インチ1万円でしたね。プラズマと液晶が争っていた頃は、大型モニターは、100万円以上で、とても手を出せませんでした。

参考までに、東京の最低賃金時給は、1973年181円から徐々に上がり、これから1,041円になります。もちろん、全て、現在価値に換算しないとわかりにくいと思いますが。

オリンピックとSDGs 環境問題

日本でも、ようやく芝生の運動場を広げる運動が起きてきたそうです。

DDTなどでの鳥の減少から「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)が書かれました。

1962年のことです。DDTは日本人にはとてもなじみのあるものでした。そして、この頃から日本の公害が大問題がとなり、いろんな対策がとられていくのです。

先日、研究所のスタジオで、ある雑誌の写真撮影が行われました。9月下旬公開の映画MINAMATA、ジョニーデップ主演、の関連取材です。テーマの水俣病については、日本人として別の面から学んでみると良い機会だと思います。

 

人間は自然をコントロールして、自分たちの糧としてきました。その中で数多くの失敗をし、大切な資源をどんどん無駄にしてきたのです。ヴィクトリア湖に人が持ち込んだナイル・パーチは、増加しすぎて減少に転じました。

今回のオリンピックは、コロナ禍のせいで、復興五輪とは名ばかりのものとなりました。しかし地震津波、火山のような自然の大災害は、簡単に対処できるものではありません。

それに対して、自然のコントロールは人間が行ってきたことです。だから可能なところもあるのです。日本の公害での空気や河川の汚染は、改善されました。世界ではオゾン層破壊が止まりました。コロナ禍でも、世界中の環境はすごく好転したようです。人間が動くことがいかによくないのかが証明されたわけです。コロナ禍は、地球の自浄作用になったのです。

 

折しも今年度は、世界中で大規模な気候変動による自然災害がたくさん起きました。まさに環境問題と直結したことが沸騰したのです。

グレタ・トゥーンベリが現れたのは、その前兆だったのでしょう。彼女は2003年生まれ、15歳で活動、アスペルガー症候群をスーパーパワーに変えてしまったのです。両親は、俳優とオペラ歌手です。そして、ここ1 、2年の間で、この環境問題は、危機感を持って急速に重要視され、大きな転換期を迎えようとしています。

 

またパラリンピックは、多様な存在を認めるということで、これもまたオリンピック史上の大きなインパクトを与えたのです。パリでは、オリンピックとパラリンピックを合わせるような方針もあるそうです。無理に男女混合チームにして競技をするのが気になりましたが、それよりは、そのほうが賢明なことと思います。

遣欧使節団のこと

ずっと海外にも行けずにいますが、ヨーロッパまで二年半かかっていたことを考えると、まだまだと思えます。

4人の少年が1582年2月20日長崎を出港、83年12月20日ゴア、84年8月10日リスボン到着、85年3月23日ローマ教皇と接見。86年4月13日出立、90年7月21日長崎に帰港、8年半に渡る旅をしました。

帆船では、まだ風力でしか動けなかったため、風を待たなくてはいけなかったので、こんなにかかったのです。13~14歳で出発して成人になって戻ったあと、4人の運命は、棄教、追放、処刑など、散々だったのです。

映画「大正遣欧少年使節~MAGI」。ちなみに、原田マハさんの「風神雷神」の出版も同じ2019年です。

 

科学革命、技術革新から、宗教へ

17世紀の科学革命は、数字、観察と実験を重視しました。つまり、知識の実生活への活用をもたらしたのです。それはアリストテレス以来の自然哲学からの離脱でした。たとえば、ガレノスの生理学説から解剖学者ヴェサリウス「ファブリカ」(1543年)、ハーヴェイ「血液循環説」とつながります。

もとより宗教の中で制約されてきたものが、科学、知識、論理、理性を中心とするように、変革されてきたのです。宗教にとらわれない新しい芸術や文化も誕生しました。

しかし、そうしたものがどんどんと細分化され極小化されると全体が見えなくなってきます。近視眼的に自分しか見えなくなってきてしまうのです。

 

プライベートを重視するあまり、コミニケーションがわずらわしくなって、コミュニティーが崩壊していくようなものです。私個人と公、共同コミュニティーの関係は、常に両方があってこそうまく機能するのです。包み込んでいたのは、宗教、あるいは、信仰だったのです。

 

その科学革命以後、技術革新が止まることはありません。多分、ひと昔前の100年分の革新が、今は1日の中で起きていると思われます。それをどのようにコントロールするかという点で、もはや人間の知性は追いついていかないのです。それをAIに任せるとどうなるのか、となると、さらに不安なわけです。

 

遺伝子工学も人間が倫理的にストップをかけています。核ミサイルも、危うく反射的に発射しそうになったのを人間が良心で止めたいきさつがあったはずです。

A lは、その判断側の能力として使われるのですから、どうなるのでしょう。人間離れした判断で人間を滅ぼすのか、人間らしい判断で大失敗するのか。

 

今の人間社会は、昔の賢者や偉人たちを超えるような人材、あるいは統治体制を見出しにくい状況に思うからです。進歩をゆっくりにする知恵は、環境問題でも突きつけられてきました。

しかし、情報化社会は、知らなければよい悪魔の蜜を振り撒いてしまうのです。皆でワクチン打つ、でも、皆で電気を切れるでしょうか。

宇宙への関心と無心三昧の境地

宇宙の始まりから終末にまで、なぜ多くの人が関心をもつのでしょう。

もう消滅したかもしれない星の光に、なぜ関心を払うのでしょう。

それは、私たちとつながっているからに他なりません。

 

いま、ここ、という限定された時空に、私たちはいます。

生まれて死ぬまでの一瞬を、この地球で暮らしているのです。

多くの消滅した人たちの残したものとして、この生もあるのです。

それは、私たちだけではありません。

 

動植物も自然も地球も、そして、宇宙もです。

宇宙は、ミクロコスモスとして、脳の中にあります。

宇宙に出なくとも、宇宙を体験できます。

私たちがいるのは、宇宙ですが、

夢のなかにも、それは見つけられそうです。

 

宇宙との一体感、真理、無心、三昧、、

どう名づけようと、

そういう瞬間を

大事に味わっていきたいものですね。

 

 

 

日本の危機

例年、自然災害の発生が相次いでいます。どうみても環境破壊と人災です。

東日本大震災でみたように、土木建設業によるハコモノの復興でどこかが儲けるだけ、

もっとも大切な地元の人々の生活がまだまだ戻っていないのです。

今回のオリンピックでは、その利権構造がかなり公になりました。

 

株価を高く操作して経済復興のように見せかけたアベノミクスのあと、日本の国際的地位は著しく下がり、競争力も落ちていることが、あらわになりゆくだけでしょうか。

日本のGDPは、この25年間で世界に占める割合が18%から6%にまで縮小。

 中国は、20年前、日本の3割から、今や、3倍です。

宇宙開発やジェット機はおろか、日本の強みだった車などの技術開発さえ

遅れをとるようになりました。家電も鉄鋼もです。トヨタはテスラの時価総額に抜かれました。

 

外交に関しても、最悪の状態です、この20年間で、日本の貿易先は、アメリカが25パーセントから14%に、中国が10%から24%と大逆転しています。なのに、まだアメリカに主権を委ねた属国のままです。

日本の政府行政機関には、アメリカ忖度村と中国忖度村しかないのでしょうか。

感情とのつきあい、感情から読み解く

私たち日本人は、信仰に対してというよりは、道、作法、型、仕組み、心のあり様などに何かを感じとることから発するのです。

感情などは、私的な、そのときだけのものです。

そうした感情をそのままに出せるのは、私的、つまり、プライベートな関係だけです。感情を表情や所作に表すと公の表現になります。公的なものを私的にしないように注意しましょう。

プライベートな関係でも、その範囲は、あいまいですし、公理を外れた行動は、嫌われるだけでしょう。

だからといって、感情を殺したり無視したりすればよいわけではありません。喜びや楽しみなどの感情は、生きるエネルギーのなります。悲しみや怒りなどの感情は、一時的なものとして取り扱い、悪循環させなければよいのです。根の持ったり繰り返し思い出したりして、悪い方に強化しないことです。

感情がなんであれ、それを人に向けなければ大したことにはなりません。具体的な誰か、とは切り離せればいいのです。多くは、他人の言動がきっかけになるからです。それが自分のなかの何かと接触するのです。

そこから、自分のなかの、心のあり様がわかります。そして、それをとりまく、道、作法、型、仕組みなども。