fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

声と音に親しもう

ことばの音のイメージは、風景や感情とストレートに結びつきます。

歌も俳句も、音が主で、ことばは従と、私はみています。

書として楽しむのは趣があり、日本人向けですが、元々、

和歌は詠みあげるものでした。メロディやリズムの力が働きかけるのです。

海外では、詩人だけでなく、作家も朗読会で作品を披露します。

目で愛でるだけでなく、声で読み上げ、耳で聴くと、

それは身体で波動を起こし、身体で受け止めることになります。

息を詰めて手で書く、あるいはタイピングするのと、

息をゆったり吐いて声で語るのは、大きく異なるでしょう。

 

特に、年配の方には、文章創作の親しんでいるのなら、ぜひ。

ブログやSNSでも、声を出して読むことを進めています。

上達するだけでなく、アンチエイジングに効果があります。

心身とも、慣れるとスッキリします。めんどうと思ってしまうものですが、

めんどうだからこそ、一つ、日常に加えると、一歩、前進するのです。

音声入力にしてみるとよいでしょう。

 

 

 

型の継承とルール作り

日本には、ルールの代わりに型があったのです。

それは冠婚葬祭や習い事でゆるやかに継承されています。

とはいえ、時代は変わり、

ルールなしには合意しにくいことが多くなりました。

また、ルールや法によってしか、行動を律せない人も出てきます。

型は、その基準が、言語化されていません。

用語はあっても習得度も人それぞれです。

踏まえたり、発展したり、破ったり、していきます。

型なしでなく型破りを、いきとかすいといいます。

今や、粋に着こなしている人も少なくなったものです。

ということで、日本人は、ルールを作るのは、苦手です。作っても、

そもそも、うまくいかないので、つくるのですから、うまくいきません。

そうしているうちに、ルール作りに長けた欧米人に作られてしまうのです。

ルールや規約は、つくる人が一番、有利です。ランキングも賞も同じです。

そういうことで、日本人は、辛酸を舐め続けているのです。

いまだに、欧米からのそうした評価を重視します。その枠組みにいる限り、

どんなに頑張っても生徒であり、一人前の大人ではないのです。

 

 

仏教の修行

仏教思想もまた、身体を煩悩の宿るところとして精神よりも下にみました。

釈迦は、身体を痛めつけるほどの修業をし、精神的解脱を目指したのです。

それは身体を痛めつけたら解脱できるのでないということですが、

身体を痛めつけての修行で得たのです。そこは身体と修行の関係をきちんと

捉える必要があるのです。言葉で語るほど、捉えにくくもなります。

身体で語る術を得ていくとして、そこも術になりかねないのです。

私もまた悩むところなのです。

主人公はいらない日本人

日本語には、主語がないと言われますが、欧米のグラマーで体系化するからです。主語というのなら、私を表すものだけで数えきれないほどあります。相手によって、使い分けるので、我が強いのでなく、関係性で使い分けるのです。

もちろん、主体をはっきりさせたくないからともいえます。誰がどうした、というのより、このようになっている、というような責任の所在のわからない言い回しが多いのです。

というのも、主人公はいらないのです。襲名なども個人名ではないし、ファーストネームよりファミリーネームを使う、匿名が多い、絵巻物も、文楽の黒子もそういう嗜好を表しています。

 

霊魂、鎮魂の国、日本とボッチャ

ボッチャの日本チームは、火の玉ジャパンというそうです。杉村選手が、金メダルで、一気にポピュラーに、まさにスギムライジングです。ペタンクはやったことがありますが、これは知らなかったので、調べると二万円くらいで揃えられそうです。どなたかやってみませんか。

 

人が死ぬと魂が抜け出し、人魂となります。鬼火、狐火、焼酎火など調べてみてください。

魂鎮め(鎮魂)が、魂振りより多いのですが、それは、敗者の霊を鎮めるためです。日本人の判官びいきです。そういうことでは、ISのような宗教や教育なしに、命を賭けてしまえる怖さもあるのでしょう。負けて散ること自体への美学や憧れ、あいまいな陰翳があります。

NO.1よりも、二番手を好み、縁の下の力持ちのように、アシストを高く評価するのです。リーダーでなく、まとめ役が優秀でないと、うまくいきません。目立つことより黙って為すことが求められるのです。

 

日本の物語では、動物が人間になったり、動物と結婚したりします。生死や虚構との境もあいまいです。西洋のは、罰せられたりして醜い動物になっていたのが、人間に戻って、ハッピーエンドですね。

人も動物もあらゆる生き物をも差別しない、それどころか、モノや道具にも深い愛情をもつ

のです。その割に身内以外の他の人に冷たかったりもします。おもてなしのあたりでは、親切なんですが。八百万の神、やおよろずの神の、国なのです。

 

アメリカナイズの終焉の先

戦後、日本人は、アメリカのライフスタイルに憧れて、モノを買い集めていきました。それを団地の2DKに詰め込み、通勤ラッシュにめげず、サラリーマンとして会社でのポストと報酬を生きがいに、ニューファミリー族で頑張ったものです。

映画やテレビでも、欧米のライフスタイルに憧れ、まねしようとしてきたのでしょう。そして血縁や地域コミュニティは、少しずつ解体していきました。

アメリカの生活は、広大な土地があり、邸宅を建て、車が普及していたから可能でした。その後、フロンティア精神を土地、モノ、金融、ITと発揮していきました。

 

日本人は、エコノミックアニマルを究めたあと、経済から文化に軸を移していきます。モノから心に、そして、バブルがはじけます。日本は、世界のリーダーとしての戦略不足を再び、露わにします。大東亜共栄圏の崩壊と重なります。

一方、世界のアメリカナイズは、日本での大成功の後、失敗を重ねていきます。未開拓地がなくなり、帝国主義の植民地もなくなり、国家転覆もうまくいかないからです。今回のアフガニスタン撤兵がダメ押しとなりそうです。

国を超えて、人類が一つになるという試みは、共産主義国家でほころび、多くの人が期待した多民族国家アメリカでもうまくいかなかったわけです。

 

21世紀になっても、仮想敵国への対抗でしか、まとまれない人類の精神構造は、拭えないままです。

宇宙人が来たら、人類はまとまるというのなら、コロナ禍はまさに、人類全体に降りかかる災いです。人間の壊した地球環境が少しよくなりました。

なのに、肝心のことは、停滞し、2年前に戻るのを待っているだけのようです。

根本的に変える最後のチャンスかもしれません。

この文章にどうか、肉付けしてみてください。そして、この先の展開を考えてみましょう。

ジャーナリズム

ジャーナリズムには、報道、批評(批判)、啓蒙の役割があります。 

どうも豊かになると、ハングリー精神がなくなり、本質や真実への執着がなくなるのか、

あるいは、そこまでに作り上げられた体制やシステムに順応してしまい、牙を抜かれてしまうのか。まず、個人として動けるような自由度をあげること、ユーチューバのようにです。

 

暴言を改められない、おじいさんたちは、それによって、失うものはないし、生活も安定しているところから、変われません。正論や本音を言えるのに、センスや時代認識が甚だしく損なわれている人しか使われていない。使いやすいからでしょう。

どの業界の二世も同じ理由でか、冴えない。

職としては、刑事、教師、芸人なども、似てきていないでしょうか。

信念や理念のために、動くことの尊さを学ぶ機会がなくなってきたのは困ったことです。

身近にいないなら、歴史や世界から学びましょう。

安いサラリーで借家住まい、貯金なしだったような職が、民間一般人より高給とりにもなり、ローン抱えたり家族サービス優先となったりすると、不可能かもしれないとも思います。でも、1割でもそんな人がいるとは期待しています。ドラマのように正義漢でなりふり構わず、行うと追い出されるので、次代を見据えて、牙を研いでいる人が。それが天使か悪魔かは知りませんが。