fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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テレビとネット 芸能人格付けチェック、開運なんでも鑑定団

「芸能人格付けチェック」という番組を見て、音楽分野だけは耳を試しています。歌い手、クラシック、ジャズ、邦楽などの演奏で、本物か偽物を見分けるのです。ここに並べた順で、私は判断に確信を持ち、早々に正解できます。歌い手なら、まわりのクラシック歌手などより確実に見抜いてきました。彼らは正確さの上に演奏を見るので、日本のポピュラー歌手は苦手なのです。私もアニメの主題歌で一度だけ間違えましたが、今でも実力から見ると逆と思っています。

多くの歌い手や歌い手志願者の歌を判断してきました。ずっと聴いていたいのか、続けては聞きたくないのか、シンプルです。早ければ出だしだけで、良い悪いなど比べなくともわかるものです。心に響くとか感動する、とまではいかなくとも、成り立っているのか、あるいは、私ならまだ直せる、そこでの程度で判断するかです。素人よりは、その差を大きく増幅して感じるということになりましょうか。いろんな物差しがあります。

ついでに絵画や彫刻、書、掛け軸、陶器といった美術品なら、絵画はそれなりに自信がありますが、その他は「開運!なんでも鑑定団」などで見る限り、だめです。美術館だけはたくさん見てまわったおかげなのでしょう。インパクト、リアル感、立体感、生命感、、、。

料理の味比べなどをテレビで見て、面白いという感覚は、あまりありません。テレビでは視聴覚でしか判断できないからです。楽しむ人は、一流芸能人、日頃良いものを食べている人たちが間違うことを面白くて見ているのでしょう。GACKTさんのように全てに優れる感覚を持つ人はそんなにいません。そういう人ばかりでは、番組になりません。

私などは、出ている人がそんなにわからないのに、プロとしてやっている、そんなにわからないのに音楽のプロもいるとかいうことで少しばかり自信を持てます。そして、人間大して差がないのだなということで、彼らのような努力もしなくてはと思うこともあります。

 

 

テレビは、かつて、家庭に、神のようにやってきたのです。その日から、いきなり主役となったのです。夕食の風景を変えてしまいました。家族団欒を妨げもし、助けもしました。

ネットについては、その影響力は多大ですが、あのときのテレビほどに、新たな神の世界をつくり出したように思えません。私が古いんでしょうか、使えてないからでしょうか。

テレビは、外の世界を一方的に私たちに伝えるものでした。皆に、ほぼ同じものを世界中からセレクトして見せてくれたのです。同じ経験を与えたと言うことになります。皆、同じように世界が広がったのです。

それに対して、ネットは、インタラクティブなので、電話のような存在なのでしょうか。どうもツール感があるのです。

事実を情報として与えることが、一通り終わると、飽きないようにおもしろく刺激すればよいというバラエティの感覚的なキャッチで、テレビは成り上がってきました。大宅壮一の名句と思われていることの多い「一億総白痴化」という言葉は、テレビの害を表すフレーズでした。

そこに加えて、ネットがSNS中心になると、自分の頭で考えた気になり、動いた気になり、どんどんと思考が単純になっていくように思います。気をつけねばなりません。