<尊富士が優勝すれば、初土俵から10場所目、
大の里が優勝すれば初土俵から6場所目、
いずれも優勝制度ができた明治42年以降では最も早い記録となります。>
◯自分のことばと声を取り戻す
私は、役者とのワークショップで、
「いま、発しているのは、自分のことばか」
と問うことがあります。
台本は、脚本家、つまり、他人のことばです。
それをいくら読んだところで、自分のことばとしては、働きかけません。
今の俳優や歌手は、ことばを発していても、
自分のものとなっていないのではないかと思うことも多くなりました。
そこで、なにか自分自身のことを語ってもらいます。
すると、そのことばは、伝わってくるのです。
そこで、最初は、セリフや歌でなく、
自己紹介や思っていることを語るようなところから、
始めました。
読んだり歌ったりは、誰でもできますが、伝わるとは限りません。
歌い手でさえ、MCだけしか伝わらないとか、MCの方が伝わる例を
たくさんみてきました。
MCは、自分のことばだからです。
その分、本当の想い、本音が伝わりやすいのです。
でも、今や、話しことばも伝わるとは、いえなくなってきました。
皆が、話すことや歌うことに慣れすぎて、ぞんざいに扱い始めたからでしょうか。
それでは、安易に、他の人や人工音声にも置き換えられそうです。意味内容はそれでもよいでしょう。しかし、もっと大切な役割が、声にはあるのです。
そうしたものに日々、接して、同じようなことを行なっているのです。
そういうことに慣らされると、ことばでのコミュニケーションは、空虚なものとなります。
取り戻さなくてはいけないのは、伝わることば、
そのことばを支える自分です。
それは身体性、そして、自分の声です。