阪神淡路大震災、27年前の朝5:47、これが、17:47だったら。
壊れたところ以外の、耐震化は進んでいない。
〇ことば、思想、対話
考えは、ことばにして述べていくしかありません。ことばゆえに限界があります。ことばは、複雑な現実の一面しか説明をできないです。ことばとして、切り取られてしまいます。ことばとならないものは、残されます。声のニュアンス、または沈黙として。
そうして、ことばは、仮説として提示されるのです。仮の説です。
そのことをお互いに知ってこそ、それぞれに考え、対話ができるのです。
〇心とことば
話しことばは、口から出る空気の振動である声から成り立っています。
私たちの心が思っていることを音の波動で出しているのです。
脳からの電気信号が神経を経て、呼吸筋、声帯、口内の器官などを動かして空気を振動、共鳴させて、声を発し、ことばに加工しているのです。
そうしたもとになる振動、原子などと、魂、言霊とは結びついているのです。
〇自由と価値の違い
自分や他人が考えたこと、思ったこと、言ったことなど、どんなことにも、それなりの価値があると考えるのは、民主主義のよいところです。しかし、自由に考えたり行ったりしたことが同じ価値ではありません。全てが価値あることでもありません。そこはとても大切なところです。愚かなこと、馬鹿なこと、価値のないこともたくさん、あります。
価値のないものに対しては価値がないと、示したり教えたりしなくてはいけません。
それを相手を否定するように思って、口に出さないのが、日本人のよくないところです。ことばを否定されると、自分も否定されたように思うのもよくないのです。
この枠組みが、自由や本当の価値づくりを妨げます。
〇新旧のものと価値
新しいことをすれば、価値があるとかオリジナルだと思うのは、錯覚です。
それなら、昔、滅びていったようなことを何でも蘇らせたら、文化ということになります。
滅びたものには滅びただけの価値しかなくなっていたということもあります。
普通に考えたら当然のことです。
〇干渉する
どんなことにでも、意見を言ったり干渉したがる人が増えています。
何かあれば、そうした運動に関わろうとする人も少なからずいます。
そういうことしかやることがない人もいます。
そのことで、生きがいを見出して自己満足に陥ったからといって、悪いことではないと思います。
ただ、何を出しても、お互いに、いいねと賛同すると、なおさら、そこが、自己肯定の場になっていきます。
問題は、深まっていくか高まっていくかにあります。
どうでもいいようなこと、余計なことをただ垂れ流すのを、意味あること、ましてヒューマニズムというように思うのなら、おかしいことです。もちろん、人に迷惑をかけることは、慎まなくてはなりません。
〇求める
人は、強いもの、美しいもの、輝くものなどと同じく、怖いもの、危険なものなどを見たいのです。どちらも刺激となります。
ですから、センセーショナルなことや話題になることには食いつきたくなるのです。
それもまた人々の営みであり、社会や歴史を作っていく原動力になることもあります。
でもやはり、価値がないものは、害にしかならないものがあるのです。
そこをきちんと見分けられるようになければなりません。常に向上心を持って勉強するのです。
〇文化
文化というのなら、日本独自のものを評価し、そうでなければ取り上げないようにしてみるのもよいかもしれません。独自とは何かに突き当たるでしょう。
自分についても同じです。自分独自のものを見つけていくのです。
結局、では価値ってなんだろうということで堂々巡りしてしまうわけですね。