fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

つかの間の休憩  2015/06/01

○つかの間の休憩  

私がこうして述べていくとき、時間とともに思考で埋まっていく。その前にイメージがあって、それは頭の中に漠然とあるのですが、それを読み上げていく私がいます。音声で録音すれば、それは再生によって同じだけの時間を取り戻してくれる、あるいは奪うことになる。なぜ、文字にするのかというと、やはり昔のままに、何かしら急いでいるのだと思うのです。音声はまだ検索や一覧性がないと、理屈を付けていても、大体において、先に進めていくことしかしない私に、聞き返したり、読み返したりすることのない私にとって、これは、相手に対するサービスなのだと思うこともあります。  つまりは、絵が好きなのだ、描きたいのだと、そこには音声としてのことばは使わず、音楽の流れるなかで描きたいと思うのです。仕事で音声や音楽に深くさらされているからかもしれません。

○沈黙のとき  

私は、思っていることを音より文字、音楽よりも絵の方が、出しやすいように思うのです。大体、怠惰で病的な人に暇な時間を与えては、ろくなことがない。としたら、しゃべらせるよりも描かせる方がおとなしくて迷惑にならないように思うのです。  しかも音楽は、少々エネルギーが余計にいります。話しことばは、よほど扱い慣れていないと無駄に空回りします。自ずと建前によっていきます。まして誰かが聞くとか読むと思うと日本語は主張しにくい。それは分析、そして因果を伴うべきものなのに、です。  夢のようにありたいなら、現実からの解放であるとしたら、時空のうち、まずは時間を、因果を解き放ちたいと思うのです。音楽の壁を破っていきたいのです。今、この時間、沈黙のとき、それは絵のような文章で真空にしたいと思っているのです。

○声を使うこと  

今や、日本ほど清潔な生活で声を使わない毎日をおくっている国民はいないといえます。声を使わないのですから、当然、声を出せなくなるのは、あたりまえです。  さらに、松岡修三さんや武井壮さんのテンション、気合いにさえ負けているわけです。修三カレンダー80万部大ヒットと聞くと、頭を抱えたくなります。ワールドカップのコピーのように「声を嗄らす準備」などしなくてよいから、大きく長く、声を汚いところで汚いことばを掃き出してください。