◯家康に学ぶ
「どうする家康」では、天下分け目の関ヶ原に、まっしぐらですね。
徳川家康が愛読し部下にも勧めたのは、「孟子」です。これは、民を貴しとなし、その民を愛し慈しむことができなければ、為政者を殺してもよいという思想の書です。
それを配布するとは、器が違いますね。
だからこそ、自らも引き締め、江戸幕府の続く元となったのでしょう。
所詮、政権は天からの預かり物なのです。
もし信長や秀吉が、家康と同じ年齢まで生きていたら、
歴史は、日本は、どうなっていたでしょうね。
年齢に、昔とは、違う意味でこだわるようになりました。
天下に出たのがいつ、でなく、いつ亡くなったのか、です。
信長ー秀吉ー家康の年齢差を比べてみました。
寿命は数えで、信長49歳、秀吉62歳、家康は75歳。
それぞれ、1534年、1537年、1543年生まれ、
つまり、信長の3歳下が秀吉、さらに、その6歳下が家康です。
家康は、1543~1616年です。秀吉が死んで、ちょうど2年で関ヶ原。
そして、1615年、大阪夏の陣で、豊臣氏を滅ぼして、死去しました。
◯武将の寿命
それにしても、著名な武将は、長生きでした。
満年齢でいうと真田信之が92歳、北条早雲が87歳、島津義弘83歳、尼子経久83歳、毛利元就74歳、
伊達政宗、豊臣秀吉、柴田勝家、前田利家も60代まで生きています。
信長の弟である織田有楽斎も75歳で亡くなっているため、
本能寺の変がなければ、信長も長生きしていたことでしょう。
ちなみに、江戸幕府では、最高が、最後の徳川慶喜77歳でした。
◯数え年
家康の寿命は、73歳ですが、数えで、75歳です。
数え(かぞえ)とは、数え年のことです。
今、私たちが、使っているものは、満年齢ですが、
神社での「厄払祈願」「厄除祈願」「七五三詣」などでは、数え年を使います。
なぜ、2歳の差があるかというと、
「数え年」とは、
生まれた日を「1歳」と数え
正月(1月1日)が来ると年をとるので、
誕生日前 → 満年齢+2歳
誕生日後 → 満年齢+1歳
なのです。