◯バラエティ、笑いのの表現と傷
バラエティのお約束ごとについては、周囲に危険がないか、視聴者にどんな影響を及ぼすのか、そうした状況判断のもとで、やってはいけないことは避けなくてはなりません。
これまでは、お約束ごととして、やらないと空気読めないとして、出番がなくなるようなことも、時代が変われば、問題視され非難されるようになることもでてきます。
「春日ペンギン事件」は、その一例。
春日さんは、『スッキリ』(日本テレビ系)で、那須どうぶつ王国からの生中継リポート、MCからのフリに応じて、ペンギンが飼育されている池に落ちました。3/24
それで笑えてスッキリする人、動物や飼育員の気持ちを推しはかる人、でも、その真ん中くらいに位置する人が大半、というのが現状でしょう。
動物を世話する人たちの気持ち、視聴者の気持ち、春日さんは、スタジオの判断を信じたわけです。
しかし、徐々に動物の気持ちにセンシティブな人の比率が高まっているので、今の日本のTVでは、アウトとなりました。その結果が、また、こうした変革を急がせるでしょう。
イルカショーや猿回し、サーカスなども動物虐待となりかねない今の国際的風潮をスルーしたMCの愚かなフリでしたが、視聴者サービスに、と調子に乗ったのでしょう。
お山の大将です。その周辺もイエスマン、いじめや迷惑YouTuberに悪影響なことでしょう。
笑いや表現は、いつも、そういうぎりぎりのところに立たされる宿命です。
春日さんが、その後の真摯な行動で逆境を凌いだのは、さすがです。報道が事実なら、私は、やらされたことにも自分の責任で謝辞をして弁明せず伏せていたという個人としての誠実さを評価します。でも、その報道まで計算していたのかも、と悪魔の声。
◯ポリシーと世渡り
お山の大将でも、誰かの尊敬を集める人となるなら、それは立派なことです。
しかし、そこでは、それに対するアンチテーゼを常に、自らに含んでいなくてはならないと思います。つまり、自分のいるのは、小さなお山、幻影に過ぎないのではないかという感覚です。
そうでない人は、その実績からの自信と崩れない自己評価で、どうしても派閥やら力関係などを仕切ろうと権力のほうに傾いてしまうものです。
私は、そういうことをあまり望ましいと思わなかった、そういう人やそうなっていった人を若いうちに見過ぎたのでしょう。変な意味でバランス感覚に優れていたのかもしれないし、そのために、あるところから進めなかったのかもしれなかったと、振り返って思ったりもします。
山を登るだけが人生でないことに気づいたせいかもしれません。
でも、そのうえで、一度きりの人生、登ってみて、考えるのは、山を眺めているだけよりもよいと、若い人には伝えます。山は、登っていると山でなくなるからです。