fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

○”がんばる”ということ

 「がんばっても認められないし、うまくいかない」なら、それは努力が足らないのと、努力の方向が合っていないのと、2つを考えるべきです。「どんなに働いても報われない」これも、もし私が評価するなら、どんなに働いても報われない人は一人もいないと思っています。つまり、自分では精一杯死ぬほど働いているといって、その質どころか量も伴わないこともあるのです。

 その逆を考えてみましょう。
 たとえば、国が一方的に命じた仕事で、1日8時間働いて、生きるために最低の生活を得られて幸せですか。
 旧ソ連、東欧、北朝鮮にあこがれますか。この仕事はしたくないからしないという自由が日本にはあります。それゆえ、厳しいし、辛いけど、本人次第で報われたり、成功する可能性もあるでしょう。今の時代で、それがまったくないとは言わせません。
 刑務所に近いような生活なら、私は自分で事業を起こし、その結果、飢えたり苦難にあっても、自由を選びます。

 私のいる業界に限らず、どこでも実力社会です。それゆえ、「そのチャンスさえ与えられない」というのに、携帯はもっている。
 がんばったら、皆が報われる社会とは、共産主義社会の理想でした。それは一部の独裁者のまわりだけが豊かな社会にすぎなかったというのを、私たちは学んだはずでしょう。だから、人間はそれを崩壊させたのです。
 今回のアメリカのバブル崩壊は、金融ということをレバレッジした、バーチャルな資本主義の崩壊でした。これは右から左へ動かすだけで、わずかな人だけ巨額の富を得られたシステムの崩壊です。

 自分はがんばったから報われるというのは、自己申請で他人の評価ではないのです。トータルとして、決まった量の獲物を入手するなら、誰かのものをとるしかないでしょう。
 今の日本は、過去の本当にがんばった人の残したものを奪い合っているようにみえます。テレビなどで格差を論じる人は、少なくともその日のパンに困っていないところから、大そう立派なことをいいます。いい人でないと叩かれるので、「もっと職を」「もっと雇用を」と人ごとでいいます。
 しかし、それなら、たった一人でも二人でも、職のない人を雇えということです。テレビ出演で、50万円もらったら、2~3人雇えばよいでしょう。つまり、がんばるとは、獲物を増やす、より多くの社会への貢献=仕事=付加価値をつけることを、誰もがしなくては成立しえないのです。

 私は、ラーメン屋の親父のように、20時間近く働いて、自らは10万円の給与で、二人の店員に20万円ずつ払っているような、経営者をたくさん知っています。彼らは、失業保険もありませんし、働いた分だけ、お金が入るどころか、赤字で借金ばかりかさむ人もいます。まさに事業する限り、ワーキングプア以上のワーキングプアです。でも、誰かを雇って、給与を払っています。仕事をつくり出し、雇った人を食わせています。
 そういう仕事では、人手不足です。若い人は、そういう仕事は、どんなに働いても、豊かになれないと敬遠します。いや、敬いません。見下げます。そこで中国人や東南アジア、南米の人たちががんばっています。
 そういう仕事が嫌なら、自分で仕事をつくったらどうでしょうか。日本人なら彼らが日本で事業を興すより、ずっと恵まれています。その彼らこそ、わずか数十年前のあなたたちの祖父や祖祖父の姿なのです。それだけのクリエイティブな自立自活精神もなくしたのでしょうか。

 労働運動、それが資本家に理不尽に搾取されていたときは、正義もありました。しかし、グローバルな時代になって、日本の働く人が条件を権利を主張するばかりになると、その結果として、どんどん経営者は雇えなくなります。
 経営者も人間ですし、決して豊かでないのです。日本では、時給にしたら、ワーキングプアになる人ばかりです。でも、その自由と働くことでの何かを愛している分、少しパワーがあるのです。
 どうも、体力のある二十代の若者が、60歳以上の昔、今の若者の何倍も働いた人の獲物をとろうというのは、私はおかしいと思うのです。私の父は、私が幼いとき、週休1日、それも接待で、家にはあまり帰ってこれませんでした。残業は今なら過労死認定されるくらいだったでしょう。黒人の奴隷時代には及びませんが、どんな人生にも、がんばった分、報われるものがあると教えてくれた気がします。

 コンビニのレジ打ちのバイトなら、そこから売れ筋商品、くる客層を経営のポスシステムよりも詳しく、最前線で学んでください。レンガ職人の話があります。一人はレンガを積む、一人は壁をつくる、もう一人は国や街を造ると思って、積んでいた。やっていることは同じですけど、夢があれば楽しいし、その考え方一つで、将来も大きく変わるのです。

 私は安易に手を差し伸べる振りをして、言うだけのマスコミや職者に、若い人が甘えて、魂をのっとられないように気をつけてくださいと願います。いつも自分の頭を使い、体を使ってください。守り始めたら、どんどん能力は低下してしまいます。権利より義務、仕事をこなすよりも、仕事をつくる。自分にしかできない価値を、そこにつけてください。

 人の嫌がるものをやり、人のつらいことを我慢する。そこから避けない、逃げない、そのように正面に取り組む人にあなたがなれたら、あなたが職を失うことはありません。誰もがあなたに仕事をお願いするでしょう。きっと私もお願いします。
 自由になるには、他人に何かを与えられる能力をつけるしかないのです。その能力をつけるときには、残業どころか、徹夜も休日もいらなくなるのです。人のために自分が役立つというのは、とてもうれしいことだからです。

 日本の今の豊かな社会は、かつて今のご老人方が築き上げたもので、私たちのものではありません。今のお年寄りにしっかり食いつぶしてもらいましょう。それが我々のためです。彼らは、自分を慎ましくして、子孫に残してきたのです。
 私たちは、私たちの力で、豊かさをつくりましょう。なのに、現実は私たち子孫の分まで、奪い取ろうとしているのです。恥を知るべきは、第一に政治家ですが、私たちもその一味という自覚をもって、深く反省して、前に進みましょう。
 ”がんばる”とは、人のためになるように働くことです。