◯象徴能力
私たちは、自分の見た世界をシンボル化して、自分の解釈でイメージしています。それは、心で見る世界です。象徴能力を使っているのです。
象徴とは、そのもの本来の特徴にとらわれないで、違う役割を与えたり、違う見方をすることができることです。ですから、いろんな創造的な試みができます。
そのためには、おもちゃで遊ぶのが最適です。できるだけ素朴なものほどよいです。木の棒なら、バットにしたり、スコップにしたり、武器防具にもできます。木の葉と木の実でのままごと遊びなどもいいですね。
◯主体性
幼児が、好きな絵本を繰り返し読んでもらいたがるのは、少しずつ違う発見ができるからです。その時期が過ぎると、同じ話でなく、異なるストーリーのものを読みたくなります。絵のイメージからじっくり想像するより、テキストに従いたくなるのです。
主体的だったのが、受動的になるのです。本ならまだしも、テレビなど映像なら、さらに受け身になるでしょう。野外の遊びとスマホのゲームに、大きな違いがあるということです。
◯発見
子供には、発見することを教えなくとも、自ら発見していくことを述べました。でも、しつけや教育がそれを抑えつけてしまうことが多いのです。
教わるのは、効率的で楽なことなので、そこで覚えること、知識を得ることが、学ぶことと思ってしまいます。すると、たくさん正確に覚えることが、優れたことという考えを持ってしまうのです。特に島国日本では。
それは、字面だけで理解してわかった気になってしまうということです。得たものは、知識の断片にしか過ぎません。なのに、自ら発見することをしなくなってしまうのです。同時に楽しさも失われていくのです。
探求し創造することが、とても大切です。それは日々の生活から生まれます。自分で発見すること、自分で何かを作り出すことに喜びを見いだしていきましょう。そのために必要なのは、エンデュアランスとレジリエンス、粘り強さ、根気と打たれ強さです。
◯遊び
集中した訓練をずっと続けられること、つまずいても諦めずに乗り越えること、同じことを繰り返すことを飽きたりせずに続ける力です。それを養うのは、何よりも、遊びです。
遊びは、楽しい。遊びは、それ自体が目的です。自発的かつ主体的選択で行われ、能動的に関わります。現実を忘れ、虚構の舞台や夢の空間で戯れるようなものです。
楽しいけれど、楽ではないことです。その遊びに参加しない人からみると、何を、早朝から、遠いところまで、徹夜までして、土日費やして、苦労して、、と呆れられることも珍しくありません。そこまで全力で集中するからこそ、三昧の境地に至るのでしょう。
楽でないことなのにやれてしまうほど楽しいということですね。
大人になっても、この遊び心を失わないことが、大切です。人生のすべてのヒントは、やはり、砂場にあるのです。