体験して身につける記憶

◯作業記憶

記憶には長期記憶と短期記憶があります。よく例えられるのハードディスクとRAMです。それをうまく行き来するのが、作業記憶です。RAMの情報量には限りがあるので、できるだけ意識的な注意を向けずに、HDDのほうの力が働けば、本当に集中できるのです。

 

ピアノで昔、覚えた曲を楽譜を見ないで、久々に弾くとき、脳のRAMには入っていないのでHDDにアクセスするのでしょう。途中で引っかかったときに考えたらわからなくなります。ミスタッチしても止めてはなりません。RAMに上ってこなくなるからです。

考えず最初からやり直す、できるだけ無意識にして、身体の記憶を呼び覚まし、身体の条件反射のように、頭を使わず再現するのです。考えてうまくいかなくなったら、何時間かおくか、1日放っておいたら、弾けます。HDDから取り出すときにRAMと連続した手続きのようにメモリーされていることがわかります。

 

◯音読は体験

3、4日前に続けて、音読の効用について述べました。

シェイクスピアのセリフ劇について、翻訳家の松岡和子さんは、普段言わないような言葉を使えるからよいと述べていました。「黙読は知識になる、音読は経験になる」と。

その通りなのです。いまどきの言葉に変えない方が、伝わるということでしょう。

とは、いっても、日本ですから明治時代以降ですね。坪内逍遥の翻訳?

ゼレンスキー大統領がイギリス議会へのオンラインで、ハムレットを引用したのは、3/8でした。「生きるべきか、死ぬべきか」で、「我々は、生きる」「自由になる」と言い切って、二か月過ぎました。

 

意味や内容よりも奥深いものが、RAMでなくHDDに直接、刷り込まれるのです。歌舞伎や落語の本当のファンは、話の筋など分かっています、なのに何回も見に来るのは、そこでいつも新たに発見する楽しみがあるからです。そのためには、同じ演目がよいのです。

経験というよりは体験、体に身に付くのです。

ここのところ、私たちに欠けてきたのが、繰り返しのなかで、丸ごと身につけるような体験です。そうした記憶です。

 

◯認識力、識別力、審美眼、

プロの中から一流を選ぶようなことは、素人には、なかなかできません。最高のものとそうでないものを見分けるには、そういうものが数多く認識されて記憶されていないと難しいです。認識されるとは、区分けされていること、識別力のことです。

一流の人や通の人は、普通の人には見えない違いがわかります。これは、審美眼とも言われます。そこでは、作業記憶を最大限、利用しているのです。

 

◯変化

私たちは、つい、楽な方に進みがちです。ですから、変化することが難しいのです。

同じように見えかねない日々で、主体的に生き、発見していきましょう。

少しずつの意識の変化が、大きな違いを生むのです。