○コミュニケーションの基礎

 ボランティアでやっていて、人が信じられなくなってやめる人も少なくないと聞きます。しかし、まあ、少々ひどい目にあっても、続けることも必要でしょう。そもそも善意は隠れてするものでしょう。最後は一人、いつも一人と思って、一人でしっかりしているから、人を助けられるのです。他人というのは、一人として背負えないし、痛みさえ代われない。
 語るべき相手を持ちえないから、殺人という自殺をするのでしょう。うつになるなどというが、私だって、うつにもなるし、そういうときは何もしない。でも、何もしないでいいとなると、却って、うつになることが多いものです。
 最近の若い人のように、「顔を知っていたら、友達」というようなコミュニケーション関係になると、会うのがストレスになるようです。友達は平均で10人~20人いるらしいが、数よりも私は賀状メールを自己活動の報告を兼ねて、2000通くらい出すが、親しい知り合いには出していません。

 ともかくも、一人と徹底してつきあうことが大切なのです。親、上司、伴侶とは、これまでは価値観の違うときも我慢しなくてはいけなかったのに、それを個人の個性的なわがままを認め出すことで、価値観の多様な生き方を認めようとなり、合うところで合えばよいとなる。すると、そこでは肯定されないと存在できないし、他人の反応をやたら気にすることになる。
 衝突を避けるなら、自己など確立しないようにも思うが、表に出さず、内的に育てていくのもあり、そうなると、絶対的なものを信じやすくなる。
 生きやすい世の中なんてないし、今の日本、まだまだ美しいし、よい人間が多いし、充分だと思うのですが―。
 謝るか、開き直り、戦う。なかったことにして、目を背ける、いなくなる。リセットや振り出しに戻れるというのは、ゲームからきた感覚なのでしょうか。人間、過去を背負って生きるのでもあり、それがやっかいなことですが、悩んでこそ自信にもなるのです。