TV番組の「秘密のケンミンSHOW」をみていると、人は、その地でずっと食べてきたものが全国でも同じ名で同じように食べられていると、疑わないことがよくわかります。この情報化社会でも、もっとも身近な食べものにさえ疑いを抱かないわけです。ネットで調べることもない、あまりにも当たり前と思っているからです。疑いをもつ機会もない、問題意識にないから調べたこともないのです。
「これは、他の地域では、知られていません」
「この名で呼ぶのは、ふつう、別のものです」
「こんな食べ方は、どこでもしません」
と言われ、一様に驚きます。
私たち視聴者は、彼らがそれほど驚くことに驚くのです。
だからといって、「では、それにあたる食べ物が、自分たちのでは何になるのか」などを考えたり調べたりすることもありません。
これは、世界のどこかの少数民族の生活と比べているではなく、同じ日本に住む人のなかでのことです。長くその地域に住んでいる人たちです。これだけ情報化の進んだ狭い日本でも、県や市や町が違うだけで、これほど常識が違うのです。まして世代も違うと、それは、別ものといえるほどです。
つまり、自分を含む、周りのほぼ全員があたりまえと思っていることは、その時代、その地域での思い込みに過ぎないのです。誰もがそれぞれ自分だけの特別の思い込みでつくられた世界にいるということです。
こういう思い込みを避けるためには、旅をしたり、他のところから来た人と話をすることです。異邦人を受け入れ、自らも異邦人になるように努めるのです。移民問題諸々にまでつながります。
こうして驚くことに楽しさを感じるか、不安を感じるかは、ケースにもよりますし人それぞれです。しかし前向きに生きているということは、それを受け入れ、さらに求め、自分の世界を広げていくことなのではないでしょうか。