ブラック企業は、正論で貶められた会社ともいえます。企業であれば、どこかにブラックな時間があるものですが、それが常態化したのがブラック企業です。つまり、ブラックに染まって、その色がみえなくなったのです。
しかし、本人でなく、周りがかわいそうだから、と庇うことは、本人を一時、救ったようでいて、長い人生での本人自身の成長、解決のチャンスを奪うことになるようにも思われます。
本人が見えなくなっている、それを見えるようにするのは正しいことですが、果して、よいことなのでしょうか。日本人は働き過ぎと思いますか。1960年、労働時間2432H、平成24年は1765時間、ざっとみて4分の3です。
同年齢で、ほぼ社会経験が同じくらいに積めた頃は、判断や考え方も歳相応に育ったものですが、今や、キャリアの差が大きくなり、それが暮らしに格差をもたらす主因になっているのではないかと思います。その一つにブラックな経験の不足があるようにも思います。ブラックをさけるのでなく、ブラックをホワイトにしてこそ、人生の醍醐味ではありませんか。ブラックのなかで、力をつけた人は、必ずしもブラックにみえなかったものでしょう。