fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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まとめて安保法案 2015/09/19

財務省の軽減税率制度案、文科省の理工系人材育成戦略案と…、聞くにつれ、昔、日本の官僚は優秀だったはずなのに、と思うしかない。日本を世界の一等国へ引き上げ、第二次大戦で壊したあとも奇跡の復興を成し遂げた1980年代くらいまで、日本の役人というのは通産省はじめ大蔵省も賢かったと思うし、大学や企業にも、すぐれた人材がいたわけです。でも、団塊の世代から私たちの世代にかけて、日本人はどうしてこう愚かになったのでしょう。

となると、教育について考えざるをえません。良かれと思ってやっていたことが、結果としてよい方向に行っていないなら、自分たちのよい、正しいを、原点から疑うことでしょう。

 安保法案については、これまで私の述べてきたことを読み返してほしい。アメリカとけりをつけなくてはいけないのに、ずっと疎かにしてきた。命が、銃や馬よりも安く扱われていた戦争の悲劇を経て、絶対的なものとなった。攻めないだけでなく守らない国としてアメリカに守ってもらう国を選んだ。それが1960年代の安保闘争、反米か安保かで30万人のデモを抑え、岸政権は、安保をとったわけです。

 今回のは、護憲、九条を守る、これを、最初はアメリカから与えられたものだったとしても日本のものとして、戦争反対とする、それをよしとして、でも、誰が守る?

アメリカが今度、横田基地オスプレイを配置する。アメリカ、中国、ロシアで、もっとも日本人を殺しながら、戦後処理を温かくしてくれた世界一強い国がアメリカだった。で、アメリカは敵にならないというのは、日本が利用できるからにすぎない、つまり、護憲とは、さらに続けてアメリカに守ってもらおうということです。一方、アメリカは、またかつての宿敵イランやロシアに寄りつつあります。

中国は攻めてくるかもしれないが、アメリカは、もう攻めたあと、ずっと日本を支配している。アメリカに反対した政府はすべて潰されているから、安倍首相の意志などでなく、リアルにはアメリカの機嫌を損ねられない。そんな日本の政府の判断に全く期待などできないから、私は、反政府でありつつ、デモなどについては、先の安保闘争のような意味を見いだせないのです。

日本人は、どちらも命を賭けていないが、アメリカ兵は命を賭けている。命というと、今の日本ですぐ過敏に反駁がくるが、命の価値が平等かつ重いのなら、重いゆえに日本を守るアメリカ人の命、テロで自爆する凶暴な狂信者と言われる人の命はどうなのか。もちろん、テロや反テロでの被害者の命といったわかりきったことを無視するつもりもないし、犠牲者の数で比べるつもりもない。数なら圧倒的にアメリカが殺した数が多いでしょう。日本人が戦後はあまり入っていないだけです。

つまり、愚かで信用できない私たちの世代も含めて、今の日本人リーダーよりは、アメリカがまし、中国やロシアよりまし。

過去の日本人リーダーがすぐれていたと言っても仕方ない、ゆえに、若い人、これからの日本人のリーダーをどう育てるかなのです。すでに亡国への道を辿りつつあるのを、きちんとアメリカに対応するか、日本のような思想で世界が一つになり、国境がなくなるよう、マララのように強い意志で訴えるような日本人がどれだけ出てくるかということでしょう。