fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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憲法論議と米軍 法の違い

岸田首相が選挙公約で残したのは、国防費の増加に加えて憲法改正です。これは、衆参両院で3分の2以上の賛成を得て国会発議を行うことが必要です。

 

憲法改正論者によると、日本国憲法は、GHQに与えられ、国民の主権不在、すでに死文化している、曖昧ということです。護憲派は、この憲法で平和が保てているし経済的な成長がなし得たと。

私は、人がつくったものだから、いつでもよりよく変えていけばよいという考えでした。上の世代が第9条だけで戦争反対を唱えていたことへの疑問もあったのでしょう。しかし、憲法解釈がどんどん拡大して、憲法を変えたほどにもなると、変える必要性が薄れてくるし、なまじ変えて明文化することの危険性を感じるようになりました。今の政治家が信用できないだけでなく、今の日本国民の判断にも信用がおけないということかもしれません。いえ、問題はそこではないのです。

 

確かに、日本もこの憲法を利用して東西陣営と交渉し利するところもあったことでしょう。しかし、アメリカにその上から抑えられているのは、もはや明瞭です。

私は、アメリカが本土では行えない社会主義的な施策を日本に試みたうちの一つがこの憲法と思っていました。日本は、この75年、変えられなかったし、どこかからは変えようとしなかったようにも思えるのです。かつての不平等条約改正のときほどの気概がなく、アメリカに政府も人も潰されてしまうことでの萎縮。

日本人の自立心を奪う面で、アメリ民主化政策という名の日本人への洗脳は、成功したといえます。戦争は嫌だ、命が大切だ、自分たちの命をアメリカ軍が守ってくれればいい、と慣らされているうちに、平和ボケしてしまったのです。

民主主義とは、軍をどのようにコントロールするかでも問われるものです。なのに、戦後ずっとアメリカ軍に日本を支配させてきたわけです。

もはや、アメリカの覇権は続かないのに、日本という国の体制、非常時の事態を想定すると、このままでよいはずはありません。

70年も経つと、当時の直接の影響下の人がいなくなり、秘密や密約も明らかになって、その真実に基づき、再検討ができるのが、歴史の常です。

 

日本人はルールに縛られず、日本人的な霊性によって、曖昧をよしとします。解釈が拡大されるのも、憲法のあいまいさ以前に、客観的、論理的に詰めていくような文言に厳しい性分ではないからです。この憲法には行ってもよいというような権利条項が並んでいるために、欧米のようにやってはいけないという禁止条項が並んでいるものと比べて、何か新しいことをやるときのハードルが高いのです。つまり、そこでよいとされていることしかできないのが日本、禁じられていること以外、何でも禁じられるまでできるのが欧米のだと聞いたことがあります。ルールの扱いの違いと似ていますね。

 

どの国も憲法を遵守しているとは言い難いところがありますが、日本は、実質、憲法最高法規になっていない、それは、もう日本人にも明らかになった事実でしょう。

日本政府は、2012年に海外派遣をできるとしました。今や敵基地攻撃能力も検討に入っています。何事も検討するのは必要です。しかし、まずは、占領下の属国状態からの解放です。それは、いつになるのでしょうか。

 

関連ワードです。日米安保条約日米地位協定、指揮権、日米合同委員会、砂川事件国際連合憲章第53条敵国条項、横田空域―赤坂プレスセンター、ニュー山王ホテル

米軍は、横田基地で入国はフリーパス。日本政府は、国内にいるアメリカ人を把握で

きていません。基地と指揮権は米軍が持ったまま。

第二次大戦後の日本の戦死者、警察予備隊海上保安庁の掃海艇、1950年10月17日戦死者1名、つまり、朝鮮戦争参戦しているといえる(国連軍=アメリカ)。

 

砂川事件」1957年7月、砂川事件、立川基地拡張への反対デモ

1959年3月30日、在日米軍憲法違反でデモ隊無罪の「伊達判決」、しかし、12月16

日、最高裁破棄。