fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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来し道 2014/03/09

 あるときまで、よく変な夢をみました。自分の年齢が中高年の40代くらいになっていてビックリする夢です。それが目を醒めて夢だったと安心して、それでは本当の年齢はというと、それよりも上であって、その現実に愕然とするのです。夢であれば救われるものを救われない現実に、困惑するのです。

 

 考えてみれば、私はいつも早く死ぬと決めつけ、実の年齢よりも10年も20年も先を生きようとしていました。しかし、本当の私は愚鈍で不器用で何をするにも遅くて、他人に10周遅れるくらい、同じところばかり回っていました。マラソンで皆がゴールに戻ってきているのを拍手で迎えようとしている自分は、まだグラウンドの外にも出られていない、そんな感じで困惑するのです。

 

 そういう夢をみなくなったのは、実年齢よりも先に生きるのを諦めたのかもしれません。先に生きることは先に死ぬことと何かがブレーキをかけた、いえ、そういうわけでもなさそうです。早逝した母の年齢を追い越したとき、私は、一人分、人の一生分生きた気がしました。そして、そこまでに早足で通り過ぎて、置き残してしまったものの多さに愕然としました。

 

 福島の原発事故の後、除染ということばを聞くたびに、私は、鈍い痛みを覚えます。以前なら批判していたものを当事者として引き受けなくてはいけないのは、大人を生きてしまったものの宿命です。東電を批判できるのは30代以下の者だけでしょう。私自身の来し道を除草せねばと思っていた矢先に、もっとぴったりくることばが来たのです。それが「除染」でした。

 

○触れる

 

 二十代の頃、すぐれた人たちがすでにどういうものなのか、人生で仕事を地に足をつけてやっている頃、私は自分が何ものかわからずに、ただ、生まれた頃に流行していた曲を聞いていました。何にもぶつかっていないゆえのやるせなさを、少なくとも、音楽、というより歌が、歌というよりも声が、その頃は歌手の声が、私のその日一日を何とか生きていくことを支えていました。一歩前に進む力を、ウォークマンが与えてくれたのです。私にとってウォークマンはウォークのための機器でした。でなくて、私にとって、歌の声は、生きるよすがだったのです。

 

 ですから、ここにいらした人に、そういうときには音楽、歌、声に触れてくださいと言っています。何がよいかなどは申しません。出会うものに出会うということでしょう。

 聞くことはそこに相手がいること、その相手がいることに対して自分が存在していることになります。仮に、その相手が自然で、雨や風といった類の音でもかまいません。あなたの周りの空気が震えて、あなたに届きます。そこで次に自分の声を発する空気をあなたが震わせることができます。あなたのまわりの空気は、あなたをアクティブ化します。

 

○自立する

 

 今年の新年の挨拶に、客がいなくても仕事でなくても声を使おうよというような主旨の文を掲げました。何人かの方が「いいよ」をくれました。「Facebook」はやっていませんので「いいよ」でなくて、それなりの長い量の感想や礼状が戻ってきました。

 

以前、私は一人になりたかった。何も聞かず、何も話さないですむ時間と場が欲しかった。でも今、それは、とっても恵まれていたからの贅沢な悩みとわかります。

 いつ知れず、誰か相手がいなくては、自立できないような時期を経て、ようやく誰もいなくても自立できるようなったように思います。それを振り返っての文章だったのです。

 親離れ、子離れ、人離れでしょうか。象や猫のように、狐になっての、墓場が近づいたのかもしれません。心配ご無用。生まれたときから私たちは、そこへ歩んでいるのですから、こう述べたからといって何の意図もありません。ここでは、子牛、いや、孔子の「…して立つ。…にして惑わず」の境地かな、と言いたいわけです。

 

 時代も人も変わっていきます。人の心も流行も。そのなかで変わらず価値をもち続けるものがあります。芸術もその一つです。すぐれた音楽、すぐれた歌唱も同じです。

 そういったものは増え続け、接しやすくなっているにも関わらず、それを求める心は必ずしも強くならないようです。それでは人類の宝、世界の至宝もゴミと同じです。

 心を開く、ただ寝転がって空を見る、それだけのことが贅沢になってしまった。毎日を慈しむこと。四季や山海を愛でること。何だか隠居めいたことばを口にするようになってきましたな。

 

○歩み続ける

 

 私が「迷っているならやめないように」と言うのは、以前は、「迷うくらいならやめちまえ」とやめない覚悟をせまったのと、ことばも意図も逆です。

 目的をもってなすべきことをなさそうとして、早足で生きていたときと、目的がなくてもなすべきこともなせなくとも、ただ歩いて生きていなくてはいけないときとの違いかもしれません。

 誤解がないように言うと、目的が達成できたり、あきらめてしまったわけではありません。この目的は、私がもう100年生きていっても完遂しないことがみえてきました。その上で、前向きに、そこへの挫折に真剣に取り組んでいる覚悟に至ったということと思ってください。

 

 以前に迷わずにやってきたことは、計画といった方がよいのかもしれません。時間と労力によって、辿り着けるものでした。それが、真の研究となると、生涯かけて結果を出せる確信などありません。栄光をつかめる人はわずか、大多数の人は後進に一歩前進させたことを伝えて託していくのですね。

 今、脚光を浴びている科学者などは、大バクチ師と変わらないのです。生涯かけて、一歩の前進さえできないこともあります。人生を棒に振ってしまう人もいます。錬金術師のことを思い出します。

 

 でも歌や声は、前進も後進もなくとも、人を包み込むものです。ここの研究所で、最初の15年は研究よりもライブ活動を優先していたのも、あながち間違っていたわけではないなと思うのです。

 せっかく声や歌の関心から始めたのだから、次にもっと大きく興味をもてるものが来るまで、それを続けることは大切なことです。人は目的があるから人に会ったり芸術に触れたり、歌ったりするわけではないのです。リズム、それを失わないために次の動きが出るまで、ともかく体や心を動かしていること、これが、人生をよく生きるためのコツなのでしょうね。