fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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息とプロンプター

プネウマとは、ギリシア語で風、息、精霊のことです。ラテン語でSpiritus、英語でSpirit、精気、気息と訳されます。

アメリカの大統領から日本の総理までがスピーチのときに、使っている電子で文字を出す透明版は、カンペ(カンニングペーパー)で、プロンプターといいます。それは、元は、息を吹き込む者という意味でした。

息は、呼吸であり、それに関する言葉は、声帯で発するハ行の音でつくられることが多かったのですが、P、S、k、iなども、息の強い言葉です。プネウマとかスピリット、気息など。

言語と情調 語感

折口信夫の「言語情調論」では、

「言語表象の完成は、音声の輻射作用によって観念界に仮象をうつし出すことによって得られる」と述べられています。これは、音声を聞くと、ある気分が出てくるようなことです。

「音覚情調」(聴覚情調)を形成するのは「音質」「音量」「音調」「音脚」「音の休止」そして「音位」(斜聴)となります。

 

それは、語感にあたります。なによりも、身体の機能として、発声ができるようになるには、生まれてから、1年、ある程度、発音を区別して基本的なことを伝えられるには、3年はかかります。それまでに周りの人の言葉のシャワーを浴び、聞き分ける能力がついてから、母語が形成されていきます。そして、周りの人に直されていくわけです。

発音、発声と、感情は、結びついています。人間の基本的な感情は、国や民族を問いません。当然、似たような発音や言葉になることも多いです。笑ったり怒ったり泣いたりするとき、言葉になってないところでの声の感じは、案外と万国で共通しているものです。ため息や疲れたときの声、気持ちのよいときの声なども、です。

それが、オノマトペになってくると、どのように聞くかということもあり、さらに継承されている言語文化に合わさっていくわけです、動物の鳴き声が、ワンワンとバウバウなど違ってくるのは、その一例です。

ベルモンド死去、「男と女」、月、宗教、身体

フランスの俳優ジャンポールベルモンドが、9月6日、88歳で死去しました。「勝手にしやがれ」の俳優です。9日に国葬され、マクロン大統領夫妻、アランドロン、クロード・ルルーシュ、ギョームカネ、サルバトーレアダモなどが参列しました。70歳でもうけた末娘のステラも。ジャンギャバンと同じパリのペールラシェーズ墓地で、火葬されました。

ルルーシュというと、2019年公開の映画「男と女 人生最良の日々」を観ました。

1966年の『男と女』の続編で、主演の二人の52年後を描いています。監督も主演のアヌーク・エーメジャン=ルイ・トランティニャン、音楽のフランシス・レイも、当時と同じスタッフとキャストで制作されたのです。

当時、同年代で見た人には、特にカップルたちには、さぞや深い感慨をもたらしたことでしょう。ルイもアヌークも30代から80代になったわけです。映画とはいえ、ドキュメンタリーみたいなものですね。私もいろいろと身につまされました。

 

2つの東京オリンピックでのTVの価格と給料

1964年の東京オリンピック当時、カラーテレビは1インチ2万円、14インチで28万円でした。サラリーマンの初任給は2万円でした。

初任給は、その後、大卒では、1970年4万円、1977年10万円、1993年19万円以降は、2008年20万円で、ほぼ頭打ちです。

今、28万円出せば、75インチの液晶テレビが購入できます。10年前は、1インチ1万円でしたね。プラズマと液晶が争っていた頃は、大型モニターは、100万円以上で、とても手を出せませんでした。

参考までに、東京の最低賃金時給は、1973年181円から徐々に上がり、これから1,041円になります。もちろん、全て、現在価値に換算しないとわかりにくいと思いますが。

オリンピックとSDGs 環境問題

日本でも、ようやく芝生の運動場を広げる運動が起きてきたそうです。

DDTなどでの鳥の減少から「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)が書かれました。

1962年のことです。DDTは日本人にはとてもなじみのあるものでした。そして、この頃から日本の公害が大問題がとなり、いろんな対策がとられていくのです。

先日、研究所のスタジオで、ある雑誌の写真撮影が行われました。9月下旬公開の映画MINAMATA、ジョニーデップ主演、の関連取材です。テーマの水俣病については、日本人として別の面から学んでみると良い機会だと思います。

 

人間は自然をコントロールして、自分たちの糧としてきました。その中で数多くの失敗をし、大切な資源をどんどん無駄にしてきたのです。ヴィクトリア湖に人が持ち込んだナイル・パーチは、増加しすぎて減少に転じました。

今回のオリンピックは、コロナ禍のせいで、復興五輪とは名ばかりのものとなりました。しかし地震津波、火山のような自然の大災害は、簡単に対処できるものではありません。

それに対して、自然のコントロールは人間が行ってきたことです。だから可能なところもあるのです。日本の公害での空気や河川の汚染は、改善されました。世界ではオゾン層破壊が止まりました。コロナ禍でも、世界中の環境はすごく好転したようです。人間が動くことがいかによくないのかが証明されたわけです。コロナ禍は、地球の自浄作用になったのです。

 

折しも今年度は、世界中で大規模な気候変動による自然災害がたくさん起きました。まさに環境問題と直結したことが沸騰したのです。

グレタ・トゥーンベリが現れたのは、その前兆だったのでしょう。彼女は2003年生まれ、15歳で活動、アスペルガー症候群をスーパーパワーに変えてしまったのです。両親は、俳優とオペラ歌手です。そして、ここ1 、2年の間で、この環境問題は、危機感を持って急速に重要視され、大きな転換期を迎えようとしています。

 

またパラリンピックは、多様な存在を認めるということで、これもまたオリンピック史上の大きなインパクトを与えたのです。パリでは、オリンピックとパラリンピックを合わせるような方針もあるそうです。無理に男女混合チームにして競技をするのが気になりましたが、それよりは、そのほうが賢明なことと思います。

遣欧使節団のこと

ずっと海外にも行けずにいますが、ヨーロッパまで二年半かかっていたことを考えると、まだまだと思えます。

4人の少年が1582年2月20日長崎を出港、83年12月20日ゴア、84年8月10日リスボン到着、85年3月23日ローマ教皇と接見。86年4月13日出立、90年7月21日長崎に帰港、8年半に渡る旅をしました。

帆船では、まだ風力でしか動けなかったため、風を待たなくてはいけなかったので、こんなにかかったのです。13~14歳で出発して成人になって戻ったあと、4人の運命は、棄教、追放、処刑など、散々だったのです。

映画「大正遣欧少年使節~MAGI」。ちなみに、原田マハさんの「風神雷神」の出版も同じ2019年です。

 

科学革命、技術革新から、宗教へ

17世紀の科学革命は、数字、観察と実験を重視しました。つまり、知識の実生活への活用をもたらしたのです。それはアリストテレス以来の自然哲学からの離脱でした。たとえば、ガレノスの生理学説から解剖学者ヴェサリウス「ファブリカ」(1543年)、ハーヴェイ「血液循環説」とつながります。

もとより宗教の中で制約されてきたものが、科学、知識、論理、理性を中心とするように、変革されてきたのです。宗教にとらわれない新しい芸術や文化も誕生しました。

しかし、そうしたものがどんどんと細分化され極小化されると全体が見えなくなってきます。近視眼的に自分しか見えなくなってきてしまうのです。

 

プライベートを重視するあまり、コミニケーションがわずらわしくなって、コミュニティーが崩壊していくようなものです。私個人と公、共同コミュニティーの関係は、常に両方があってこそうまく機能するのです。包み込んでいたのは、宗教、あるいは、信仰だったのです。

 

その科学革命以後、技術革新が止まることはありません。多分、ひと昔前の100年分の革新が、今は1日の中で起きていると思われます。それをどのようにコントロールするかという点で、もはや人間の知性は追いついていかないのです。それをAIに任せるとどうなるのか、となると、さらに不安なわけです。

 

遺伝子工学も人間が倫理的にストップをかけています。核ミサイルも、危うく反射的に発射しそうになったのを人間が良心で止めたいきさつがあったはずです。

A lは、その判断側の能力として使われるのですから、どうなるのでしょう。人間離れした判断で人間を滅ぼすのか、人間らしい判断で大失敗するのか。

 

今の人間社会は、昔の賢者や偉人たちを超えるような人材、あるいは統治体制を見出しにくい状況に思うからです。進歩をゆっくりにする知恵は、環境問題でも突きつけられてきました。

しかし、情報化社会は、知らなければよい悪魔の蜜を振り撒いてしまうのです。皆でワクチン打つ、でも、皆で電気を切れるでしょうか。