がんばること、努力、承認、存在論

◯視点論点 湯浅誠さん「居場所と目指すべき社会」#

たまたま、タイトルが重なったので、みましたら、こういう内容でした。
<人には、 がんばるから認められる という面と 認められたからがんばる という面の両方があります。一般には「がんばるから認められ、認められたからよりがんばる」と、がんばることを起点に考えられがちです。

しかし、私たちは、生まれたとき何もできませんでしたが、それでも誰かに認められ、育ててもらって、今があります。

私たち全員の人生は「認められたからがんばれて、がんばれたから認められる」と、認められることを起点に始まっています。

人は、認められることに主眼を置く場所に居場所感を抱きます。

がんばってもいいが、がんばらなくてもいい。そう認められて初めて、がんばれるようなところが人間にはあるからです。

 私たちはずっと、がんばることを起点に経済成長を考えてきました。そしてみんながものすごくがんばってきました。しかしこの30年間、日本はまともに成長しませんでした。成長したのは、日本よりも残業もしない、休暇もたくさんとる、日本ほどにはがんばらない国々でした。

もしかしたら、みんなすでに、「がんばらないと認められない」という回路ではがんばれなくなっているのではないでしょうか。>

#https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/488014.html

 

 子ども食堂は、私の知人にも関わる人が何人かいるので、関心をもってきました。

確かに、この論法には一理あります。 

がんばることと、認められること、つまり、承認欲求を切り離すということです。

「がんばれといってはいけない」などという教育論がもてはやされるようにもなりました。しかし、これは、「がんばることをがんばれない人やがんばれないときに強要するな」にとどめるべきでしょう。

 

がんばってもいいが、がんばらなくてもいい。そう認められて初めて、がんばれるようなところが人間にはあるからです。」

これは、努力でなく、存在自体を認めるということが言いたいのでしょう。

 

ただ、弱者や弱ったときのセイフティーネットワークを一般論にしては、ならないでしょう。

赤ちゃんは、典型的な弱者です。まわりの人ががんばって育って、今がある、育ったなら今度は、がんばる方にまわる、それが大人でしょう。

何人かで一人は、助けられますが、皆が皆、弱者では、どうしようもないでしょう。

赤ちゃんもすぐに認められたくてがんばっていくのです。

 

日本の失われた30年は、リーダーの無能、時代をリードできない、構造を変えられていないこと、なのに、そういう人をリーダーに選ぶ私たちの無能、もちろん、産業構造、人口構造の変化などもありましょう。

でも、成長した国、その会社のリーダーや社員は、日本人よりも実質において、がんばったはずです。

その前の高度成長期の日本のように、若い労働力で、がんばったのです。

日本が奇跡といわれる高度成長をしたときは、世界で一番、日本人は、がんばって仕事をしたのです。がんばったから、仕事の力も国力もついたのです。

 

強制的な指示は、手っ取り早いのと短期決戦には有利だから、多くの組織では、重用されます。

でも、そこでは個人の創造性や革新的な試みは、活かされないのです。

日本の失われた30年の根本要因です。

言われてやることは、最終的には、自主的にやることには、敵わないからです。

 

まあ、認められようが認められまいが、がんばれるときは、がんばる、そうありたいものです。

 

だいぶ、視点、論点が、外れちまいましたな、、、。