fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

ブログ論

◯表現

表現するのに、誰もが知っていることや思っていることを述べるのでは、価値がありません。どうしても、トピックスや切り口、なんらかの付加価値と思われる情報をつけることになります。その分、あやがついてしまうのです。

ここのところ、書き改めてきて、省みると、我ながら一貫性がありません。けっこうブレまくっています。白い猫か黒い猫#か、何を取ってくるのか、こないのかも不明なまま、区切っているのも多いです。政策でいうと、ときに保守であり、革新であり、左派であり、右派です。

岸田政権を批判もできないな、です。

 

◯スタンス

私は、そのとき想定する相手によって、よい意味では寛容に、悪い意味ではコウモリか風見鶏のように、追従したり、表面的に反駁、批判しているのでしょう。

でも、不特定多数向けの一般論とは、こうならざるをえないのかとも思います。

この迷いや優柔不断が、専門ではないことを述べるところでのよさと思っていただくとありがたいです。

まさに、サッカーのにわかファンの手のひら返し#みたいなもんです。

本当のファンは、どんなときでも応援するという人もいますが、それは結果が全ての世界で、一喜一憂せず、内容そのものをきちんとみる人のことでしょう。

私は、サッカーファンとは言えませんが、内容でみるし、内容がなければみないし、他人の結果ごときで自分の気分をネガティブにしません。でも、他人の結果で自分の気分を目一杯、ポジティブにはします。もっとも勝手かあ。

 

私自身が書いたことにも私自身で反論しようと思えば、いくらでもできそうです。

私も読み直しては考えを深めているのです。

これは、教えるブログでなく、伝えるブログだからです。

答えるのでなく、問う、きっかけとしてのブログだからです。

いえ、そういうつもり、なんです。

 

 

#「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ(不管黑猫白猫,能捉到老鼠就是好猫)」

<鄧小平の言葉。1962年。その考え方を猫論(白猫黒猫論、黒猫白猫論)ともいう。

改革開放期に注目され、鄧小平による南巡講話の後に広く知られるようになった。

計画経済であれ市場経済であれ、資源配分の手段の一つに過ぎず、政治制度とは関係がない。資本主義にも計画はあり、社会主義にも市場はある。生産力の発展に役立つのであれば、実践の中で使用すればよい。猫論の初見は清代の小説集『聊斎志異』(蒲松齢著)で、「秀才駆怪」という話の蒲松齢による評に「黄狸黒狸、得鼠者雄」(黄色い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのが優れている)とある。(Wikipedia抜粋)>

 

#手のひら返し

大会前は、グループリーグ突破不可能というコメントがSNS上で多く見られた。初戦のドイツ戦に勝利し、手のひら返しの大絶賛に。その後、コスタリカ戦に敗北で、手のひら返しの戦犯探しがトレンド入り、批判、誹謗が相次ぎ、スペイン戦に勝利で再び、おお手のひら返しの大絶賛となった。