誰でもしたいことはあるが、できることとできないこともある。できないと皆が思っても、やれることもある。政治はできないことをできるようにする手段である。そのためには、沖縄が沖縄以外か、アメリカ(つまり日米関係)か、どこかが傷を負う。現実的には、どれかを選ぶか、さらに新しい案を作り出すしかない。
総理のいう友愛とは「こうしてあげたい」と願ってあげることで、実行への具体案や政治ではない。組織の可動力を伴わないのだから、そういうことになる。古くからの問題がここまで長引いてきたのだから、新たなことをすると、必ず新たな敵をつくるから、それを説き伏せる意志と実行力を発揮すべきだった。そうしないから、味方も現れず、全面敵となる。総理だけが何ら成果との引き替えもなく、むやみに傷を負う。
私が政治的発言をしなくなったのは、少しでも新しいことをやろうとすると、少しの失敗で足を引っ張るだけの今のマスコミや、コメンテーターの方に辟易してきたからである。それなら、総理や民主党からも、よいところも悪いところも学んで、自分や自分のまわりの糧にポジティブに活かしたいと思う。
こうして、世界で唯一、リーダーシップや組織について学べない、若者が育っていくのだろうか。逆にここからよい方に学んでもらいたい。