なぜ、修行のための寺は、駅前でなく山奥にあるのでしょう。商売は、客の利便性を考え、駅前に出店しようとします。駅前留学NOVAは、その典型でしたが、大学までもその動きにのっかってきました。
便利さ、効率のよさは、幸せや充実感とは反すると思うことが多くなりました。
日本では、山の手線で10分遅れても疲れるけど、海外なら50分遅れても疲れない、この差は大きいでしょう。耐性がなくなると生きていく力もなくなります。何もできなくなっていく。心身とも老化してしまうのです。非効率、不便、不備こそ人を成長させます。これはスローライフとは違います。
HDDに入れると頭に入らなくなる。AIを使うと頭で考えなくなる。コピー機を使うから覚えられないのと一緒です。全自動運転の車なら、電車と同じ、もう移動の能力も失われるわけでしょう。
大体、面倒なこと、苦労したことでしか、人を感動させられないものでしょう。そして、大切なこと、生きがいや人に伝わることは、あきれるほど面倒で手間のかかること、しかも、そのくり返しの中からしか生まれないのですね。
人に耐え、ものに耐え、おかれた立場に耐え、耐えた証でなく耐えることにも耐えて、それがなくなった頃、人生の肝心なものが成り立っているものなのですね。