fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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山に登ること 六根清浄と「どっこいしょ」

カンブリア宮殿」では、「ヤマップ」社長、春山慶彦さん。(6/29テレビ東京)

YAMAPとは、登山用の地図アプリで、360万ダウンロード、4月現在。

日本社会の課題が、都市と自然のつながりを感じにくい暮らしや生き方をしていることから、山を歩く人を増やすことができれば、社会は変わるのではないかと思い、チャレンジしたそうです。

 

確かに、山を歩く人が増えると、

社会は変わるでしょう。

 

◯山と日本人

日本では、山そのものが神聖であり、神様でした。修験道など修行の場でもあり、六根清浄を唱えながら、霊気を吸収して聖なる力を得るところでした。女人禁制でもありました。由緒ある寺社や神社が、山の上に建てられています。

一方、欧米では、山や森は悪魔のいるところと恐れられていました。その後、登山家が英雄視されるように、人間が自然を克服していく象徴でもあったわけです。また、登山は、スポーツとして楽しまれてきたのです。

山に神様がおわすのか、悪魔がひそむのかは、反対のようですが、畏れるということでは似ているでしょう。

ちなみに登るときの六根清浄#は、どっこいしょ#の語源。

 

宇宙にいった人は皆、神の存在を信じ、人生観も変わるそうです。

山は、それに近い体験をもたらすのでしょう。

大自然からみて、あまりに小さい存在である人間に気づかせてくれます。

高いところに登り、視野を広げて、足元を見つめ直しましょう。

 

 

 

#六根清浄

「懺悔懺悔六根清浄」山々をこだまして響きわたる「さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)」の掛け念仏。険しい登り道にかかると、先頭を行く奉行さんから始まり、掛け念仏の大合唱となります。一心不乱に声を出し、身も心も知らず知らずのうちに、皆が掛け念仏と同化していきます。

六根清浄とは、六根つまり人間の知覚である眼・耳・鼻・舌・身・意(心)のことです。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感に心を加え、穢れにふれたとき、あるいは、欲望を清らかに浄化し、捨て去ってしまおうと願って、唱えます。

六根は仏教語では、六境(色・声・香・味・触・法)と合わせて十二境といい、さらに眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識を加えて十八界と称しています。

唱える前後に「懺悔」以外の言葉がつくこともあります。

 

#どっこいしょ

「どっこいしょ」は、六根清浄が語源とは広く知られています。一説には「何処へ」という言葉が元だとも言われています。

ヘブライ語を語源とする説もあり、「救う者」「イエス・キリスト」を「イシュア」、「押しのける」が「ドケ」で、「ドケイシュ」で「神の救いによって押し上げる」という祈りの言葉になるそうです。